古代人イエスのABBA(2)

 

活力としての「神(=天父)の霊」

 

イエスは「神=ヤハウェ」の(「実体的一」の)啓示者ではなく、「神(=ヤハウェ)と人との関係」の(「作用的一」の)啓示者として独一無比の人物であった。その意味で彼はあくまでも特別な存在である。神から特別に選ばれた存在である。そうでなければ、彼はキリストでもなければ神の(独り)子とも告白されていないだろう。しかし彼は「神の本質」を有する存在などではない。これはキリスト教会の過ぎた思弁である。イエスが「神(性)の人」ではなく「霊(性)の人」であり(聖霊に満たされた人という意味で私はイエスを「霊満人」〔レイマンジン〕と呼ぶ)、「神関係」の啓示者であることは、たえず父なる神に祈る姿に極まる。

<イエスはこのヨナの徴しか、自分の目の前の世代には与えられないと言うのである。明らかに、イエスの宣教ははかばかしい成果を挙げなかったのである。しかし、神は忍耐していてくださる。それがイエスの元気の源だった。>(大貫隆著『イエスという経験』P117) 、<人は誰しも自分の過去だけをいくら気にしても、自分自身を真に分かるようにはならない。未来から来る希望と夢がなければ元気に生きられない。イエスの「神の国」はそのことをも告げるメッセージだったのである。>(同、p241)
・・・実に神関係が生活に何の意味があるのか?と言えば「元気の源」たり得るか否かである。生きる力、逆に言えば自殺などせずに苦難に耐えてゆく力・・・自助・自立の力・・・こうした活力の源泉として神関係が機能しないなら、単なる精神安定のための観念にすぎないのならイエスの死は無駄になる。

「彼われに言たまひけるは人の子よ起(たち)あがれ我なんぢに語(ものい)はんと」(エゼキエル2:1)

ヤハウェの霊は人(の子)を自分の足で立たせる(同、2節参照)。その霊は人を引き上げる力を発し「熱」を帯びている(同、3:14)。

このようなヤハウェの人に対する関わりをイエスは治癒行為を通して啓示している。そして彼は、たとえば次のように言う。

「なんぢに告ぐ、起きよ、床をとりて家に歸(かへ)れ」(マルコ2:11)。

「幼兒(をさなご)の手を執りて『タリタ、クミ』と言ひたまふ。少女よ、我なんぢに言ふ、起きよ、との意(こころ)なり。」(同、5:41)


荒井献氏によると、イエスは「神」を<「善人」「悪人」のごとき、人間の倫理的価値判断に基づく格づけを止揚する、いわば「相対化の視座」として捉えている>と述べている(『イエスとその時代』〔岩波新書〕p185 ※これは前頁から引用されているマタイ6:25~34のテキストから言われている)。イエスの「神」によって何が相対化される(=止揚)かと言うと「人間の倫理的価値判断に基づく格づけ」であるというのだが、この点が私見では知識人的であり、私のような煩悩具足とは観方が違う。イエスの「神」はマスメディア(特にTV)によって刷り込まれ拡げられてゆく、人と人との活きた出会いを妨げるもの・・・優劣比較に於ける差別的価値観(たとえば「勝ち組ー負け組」)をこそ相対化する。こういうものを絶対化してしまう人が意外に多く、その中には自殺する者もいる。イエスの「アッバ」(なる<「神」)の支配>の福音によって自殺から救われることもあり得る。イエスの「神」は実存的意味での絶対者であり、他宗教の神々や仏も存在する一般社会にあっては当然、相対的存在。だから私は唯一神教は現実的ではなく、より現実的であるのは拝一神教だと言うのだ。
「イエスにとって神は自己相対化の視座として機能すべきものであった」(同、p185)とか、「イエスにとって神は、徹底的に自己の思いを砕き、すべてを相対化する存在であると同時に、そのような自己をそのまま委ね、そこから再び立ち上ることの赦される存在であった」(同、p184)とも言われているように、荒井氏の場合は他人の言説や世間的価値観・ドグマを相対化するよりも自分の考えを相対化する方に重きが置かれている印象を受ける。しかしそれではあのイエスの(ある意味、「自己絶対化」的「独断」的な)「反対命題」(ないしは徹底命題)は生れ得てこないのであり、絶対なる「神」の前に万事・万物が相対化されるという(あえて「宗教」という言葉を使えば)宗教だったのだと思う。
以下は、少々矛盾するように聞こえるかも知れないが・・・真実は両義的なり・・・、
荒井氏は、イエスの精神・振る舞いを「価値基準の転倒」とみなし、それ自体をイエスの言動か否かを判断する基準としている(『イエス・キリスト 下』〔講談社学術文庫〕p139、147他参照)。「イエスが当時の価値を転倒せしめる存在として社会の各層に受容されていった」(『イエスとその時代』p123)と言うのだ。
いつの時代でもおよそ人間が集まって社会を成せば、そこに一定の価値基準が生じる。その基準によって差別化が起こる。これは人間には避け得ないことだ。体制の如何を問わず能力主義が原則だからだ。その社会的価値基準はあらゆる格差を是正し、より公平性を保つために改められるものではあっても、基本的に絶対的権威を帯びなければ機能し得ないというジレンマがある。だからそもそも「価値(基準)の転倒」などということ自体、非現実的であり、そんなことをしたら自滅するのは当然なのである。ではイエスの言動とはそのようなものだったのだろうか?彼は古代人であるから、無謀なことをしたとしても不思議なことではない。しかしイエスがやろうとしたことは、価値基準の「転倒」ではなく「更新」であったのだと思う。「転倒」なら田川流のイエス像になってしまい、宗教批判にまで及ぶだろう。しかしイエスは、神信仰についての基本軸はユダヤ教的伝統に立っている。ただ、その在り方を変えようとしたのだ。それを相対化と言えば、そうだろう。 すなわちモーセの律法はユダヤ社会に於いて絶対的権威をもっていたのだから、それに反対するということは相対化することになる。そのようなことは、律法を授与した「神=YHWH」の絶対性に依拠する以外にはなし得ない。しかしそれがイエスの自己絶対化ととられ処刑されるに至った。「神=YHWH」を味方につけるにはユダヤ教を屈服せしめるだけの根拠が必要だ。たとえそのようなもの(すなわちイエスが「神」に遣わされた者であることの客観的証拠)があるとしても、否、あるならなおのこと、ユダヤ教権力はこれを排除せずにはおれない。ユダヤ教自体の危機になるからだ。そしてイエスは抹殺されたのである。しかし、その死を通して残されたものがあった。キリスト教という否定媒介により、ユダヤ教的神観を更新したイエス独自の神観とその信仰の道である。イエスの「天父」なる「神」との関係に入ることが「神の国(=神の支配)」に入ることであり、それは共同体単位ではなく個人単位(ただし個々バラバラという意味ではなく隣人との関係が重視される)であるところがユダヤの歴史に於いては斬新である。しかも一切の条件なしに、ただ、求めるだけで入れるから「福音」なのである。 いつの時代でも社会的価値基準は絶対的に存在する。これを「転倒」するなどというのは観念論である(佐藤研氏の「カーニバル」論も同様。『イエスの父はいつ死んだか -講演・論文集-』〔聖公会出版〕p100「価値の転倒」の箇所参照)。行動に移せば過激派のように自己絶対化に陥り「神のことを思わず人間のことを思って」(マルコ8:33、マタイ16:23)イエスを政治的メシア化することになる(「弟子たちがイエスを政治的メシアとして期待していたというのは(二一節)、とりわけルカの強調するところである(行伝一・六をも参照)。」〔荒井献著『イエス・キリスト (下)』(講談社学術文庫)p419~420〕)。その現代世界における典型が「解放の神学」である(私とは信仰的立場は異なるがこの点で示唆に富む説教がある↓)
http://www.akita-narayama.org/pdf/sekyou/jujikakibou_138.pdf#search=
荒井氏が「現代におけるイエスとの出会い」について「今日のガリラヤ」という抽象的なところへ行くことを語ることについても、自分自身は安全圏の中でそういうことを言っているだけのような気がしてどうも感心しない。

<娘が最近、「お父さんは最近、革命的に変った」というのです。やはりそうならないといけないのではないかと、彼女を通して教えられました。(中略)少しずつ変えていかないと、やっぱり口先だけではだめと思います(拍手)。>(荒井献著『イエスと出会う』〔岩波書店〕p120~121)という言葉にはホンネが見えている。
労働者としての実体験なきインテリが全く信用ならないということは元・赤軍派議長塩見孝也氏が年をとって駐車場の管理人の仕事に就いて初めて労働の苦労がわかったといった発言をしたことに典型的に現れている。元・連合赤軍幹部の永田洋子さんも 「”人民大衆”という言葉が、いったい何を指しているのか、指すべきなのか、自分にはもう全然分からなくなった、だれかこのことを教えてくれる人はないか、これを徹底的に明らかにすることなしに、われわれの”自己批判”はけっして本当のものになりえない」といったことを述べたという(『週刊朝日』1972・4・21号)。
やはり信用に値するのは大学を中退してでも労働者になりきろうとした元・連合赤軍幹部の坂口弘氏や元・東アジア反日武装戦線“狼の益永利明氏だろう。ちなみに坂口氏は犬養道子さんの聖書関係の著書を介してイエスと出会っておられる。
「言いようのない死刑の重圧の下で、嫌悪感を押して森文書を分析している時、余りの苦しさから、私は初めて聖書を読んだ。いや、それは聖書ではなく、犬養道子女史の解説書であった。その読み方も、苦しみを和らげてくれそうな箇所を拾い読みするといった実にいい加減なものであった。それでも苦しい分析に萎えた気力を、再び養うことが出来たのである。キリストは実在の人物なのかどうか?彼は人なのか神なのか?創世記や数々の奇蹟は、余りにも非科学的ではないか?こういう疑問は、苦しみの只中に居る者にとっては、どうでもよかった。自分と同じように、人間以下の存在に堕ちて、死の苦悩にのたうつ人が居るということが、慰めになり、救いになったのである。マルクス主義にこういうものはない。それは階級闘争の理論であり、資本主義からプロレタリア独裁を経て共産主義社会に至るという社会の発展コースを予測する理論であり、さらに社会改造の理論である。それは徹頭徹尾現世的で、死生観や魂の救済については語られていないのだ。これでは宗教に勝てないとつくづく思った。」(坂口弘著『続あさま山荘1972』〔彩流社〕p285)
荒井氏の言う(イエスと出会える)「ガリラヤ」というのは必ずしも被差別者や社会的弱者との交わりの場とか教会現場に限らず、むしろ人生に苦悩を抱く個々人の内面にこそある!「幸福なるかな、心の貧しき者」(Mt5:3)・・・「霊において乞食である者」(※原文は複数形)=「誇り無き者(たち)」・・・マタイの「内面化・精神化・一般化」(荒井)の何が悪い!と私は思う。この「霊において乞食である者」は「神(との)関係」なしには生き得ない人間たちの実態を如実に表していると思う。
私は上記の坂口氏の著書を読んでいて、かの事件が特殊な用語によって緻密に総括される文章が続いていった先で急に視界が開けたように「魂の救済」という見出しのもとで上記の一文を目にした時、まさに魂を揺さぶられるような感動を得た。それに比べればキリスト教など、やれ「抑圧された者の神」だの「解放の神学」だの「フェミニスト神学」だの・・・、もう聞きたくはない!ニーチェが洞察したルサンチマンがそこにはあろう。実に吐き気をもよおす。自分はそういう偽善神学の徒であるより、個人主義者と言われようが何と言われようが結構なので内向きに、とにかく内向きに「(対)神関係」第一で無理しない生き方を選ぶ。実存主義的信仰、コーヘレト的「不即不離」の自由な「(対)神関係」がよい。自分にとっての究極の関心はイエスにではなく、彼が「父」と示した「神」に向かっている。「わたしの神」(My God)は(客観的に)有るというより(主体的に)有(も)つのだ。イエスの父なる神は呼び求めるべき神、要請される神である。その「神」は「悪人たちの上にも善人たちの上にも彼の太陽をのぼらせ、義なる者たちのい上にも不義なる者たちの上にも雨を降らせて下さる」(マタイ5:45)ところの創造・摂理の主である。自分のように社会的意義のある活動などしない無きが如き者でも支え活かしてくれる存在である。私見ではイエスの宗教はひとことで言えば単純素朴な親神信仰であり、それは左翼的偽善宗教などとは関係ない。むしろ社会的にはダメ人間の開き直りの宗教の方に近い。そうでなくたって低所得者は心身ともにきつい生活を送っており目指す生き方より耐える生き方なんだから、そのような者にとっての宗教は倫理実践のためよりも生活維持のため、その活力を得ることが第一義である。それは「神」が創造主にして摂理主だからこそ成り立つものである(超越的であると同時に内在的であり、汎神論ではなく汎在神論の神観がより聖書の啓示に近いだろう。しかしそういうことも私のような下層労働者にとっては思弁であって「考え過ぎ」だし、限界状況に於いてはそういうことは「どうでもよいこと」である)。
ユダヤ教の「神」観よりも 親しき「神」観(=アッバ)の独自性は「マリヤの息子」という私生児としての生い立ちと関係している可能性がある。父性欠乏である。しかし創造主としての超越性は確固として保持されており、いかにガリラヤがヘレニズム化されていたとしてもイエスの宗教に神秘主義的要素は少ない。ギリシャ神秘主義的なものは原始教団のヘレニストユダヤ人およびパウロの段階になって顕著になる。
「神」信仰が実生活に何の意味を持つか?何の益になるか?と言えば死の恐怖から逃れることだけではない。日常的には何よりも活力源として有益である。「神」を有つということはけっして単なる気休め程度のことではない。精神不安定者、社会不適応者がとにかく生きて行くため、自殺防止など、「神」信仰には一般には知られていない実用性がある。そしてその「神」は排他的唯一神教の「神」であってはならず、また日本の神々のような無節操に習合するようなリアリティーの無い偶像であってもダメであり、実存的に唯一絶対なるイエスの「天の父」なる「神」でなければならない。矢内原忠雄氏が「神」の要件として「絶対」をあげているように、「絶対他者」ならぬ「神」は、「世」に偶像神(=絶対的相対価値)を完全に相対化して滅ぼし得ないので要請されない。崇めるべき「神」はあくまでも「絶対他者」でなければならない。

「聖書は神に関して我らに教える書ではなく、活ける神そのものに直面せしめ、その実在にまのあたりふれしめる書である。聖書において我らに迫り来る神は絶対他者としての活ける神、我らの罪をさばくことによって、これを赦したもう聖なる父である。」(高倉徳太郎著『福音的基督教』第1講第3節)

「造られたものの存在の意義は創造主なる神を礼拝するためにある。人生の究極目的は神を知り、神を楽しみ、神を崇め神に服従し奉仕するにある」(同、『全集  5』p193)

 

ところで土井健司氏の著書『キリスト教を問いなおす』(ちくま新書)に書かれている次の文言はまさに「哲学の神、屁理屈の神」を表すものであって、歴史的現実に遍在する霊を通して働き給う神、すなわち「聖書が示す生ける神」とは感じられない。すなわち次のとおりである・・・

<神が唯一絶対であれば、そもそもその神は何かの「神」としては認知されないはずです。「神」として認知するためには、別の神との比較が必要となるからです。その意味で、一神教と多神教とを比較するということ自体が、一神教を見誤っていると言えます。なぜなら一神教は、そのような比較を絶するものだからです。(中略)神が唯一であれば、その神は「何か」として捉えることはできません。つまり唯一の神は、見えないのです。一神教は排他的に一人の神しか見ないのではなく、その神は唯一であるので見えないのです。「排他的に」と言うことができるのは、複数の「神」の中から一つを選び、それを絶対視する場合に限られます。後述するようにそれは、拝一神教ではあっても、一神教ではありません。なぜなら一神教においては、そもそも複数の神が存在してはいないからです。>(p119~120)

ここまでは特に問題ではなく、問題なのはこの後で、「ここで一般に唯一神が見えないことの最もよい証拠として、唯一神には名前がないことを挙げることができます。」と述べ、「YHWH」の読みが分らなくなったことにふれ、そして「これらのことから一神教の場合、神の名前は存在しないと言えるでしょう。」と飛躍していることだ。土井氏もふれているように、「一神教」には「拝一神教」も含まれる。そしてイスラエルの歴史では「拝一神教」が主流であり、十戒の第一戒しかり、申命記6章のシェマーにおける「一(エハド)」しかりである。排一神教における「神」の「絶対」性は「実存的絶対」であり、客観的には相対的である。しかし信仰というものは普遍・客観的次元に成立するものではない。そこが哲学的神観との違いである。だから土井氏は大きなカン違いをしておられ、イスラエルの民は十戒の第三戒の遵守により「YHWH」の読み、本来の「神の名」を忘れてしまった・・・ということと、一神教の神に名が無いということとは全く別のことなのに、これを混同している。そして旧約聖書が示す「神」には名が無いかのように述べている。しかしよく旧約聖書を読めば、イスラエルの民がどれだけ「神の名」を重視していたかということがわかる(詩篇だけみても、7:18、8:2,10、9:11、20:8、83:17、102:22、113:1、124:8その他多数)。「ヤハウェ」という言い方も本来の発音かどうかはわからないが、発音がわからないということと、神の名が無いということとは別である。要は子音の神聖4文字(テトラグラマトン)の「YHWH」が示されている限り、それをどう発音しようとも神の名はある。標準的には「ヤハウェ」とか「ヤーウェ」でよい。その名を有つというところに聖書の神が哲学の神の如き抽象的存在ではなく、「名は体を現わす」と云われるとおり実体を有つ人格的存在であることが示されている。

<一般に何々の名とは何々そのものであり、人は名(すなわち名詞、言葉)を知るだけでその実体をも把握し得たと思う。こうして聖書でも、例えばエレサレム神殿はヤハウェがおのれの「名」を住まわせた場所である、とされた(申12:11等)ように、「神/ヤハウェの名」は、神/ヤハウェそのもの表し(5:12、124:8等)、しばしば「神/ヤハウェ」またはこれを指す代名詞と並行して現れ(7:18、20:2、44:6等)、例えば「ヤハウェの名を呼ぶ」(79:6、80:19、99:6、105:1、116:4,13,17)とか「ヤハウェの名を知る」(9:11、91:14)とは、神/ヤハウェを拝することである。いっぽう名即実体というこの心的作用は、神名の禁忌(出20:7等)を引き起こし、「ヤハウェ」の代わりに「(わが)主」ないし「あなた/かれの名」と呼ぶ慣習を生んだ(8:2、29:2等)。>(~岩波版 松田伊作訳『詩篇』補注 用語解説「名」)

※松田氏は『聖書ヘブライ語』〔キリスト教図書出版社〕第5号の11頁で、ヤハウェの名がヤハウェ自身を表す場合があること、また「名即実体」ということを述べている。

概して、実存的信仰の立場は「神の名」を尊重し観念的信仰の立場は「神の名」を軽んじる傾向にあると言える。その観念とは「神の不可称性または不可命名性」であり(~有賀鐵太郎著『キリスト教思想における存在論の問題』〔創文社〕p159)、「それは特に教父ユスティノスにおいて顕著であり、それを遡ればフィロンに行き着く」(同書p156)とのことで、さらにその源にはアリストテレスの名称「措定」説があるようだ(同書p154参照)。「神の名」が「神の本性」を示すものではないといった考えが、「神の不可知性」すなわち人間が「神の存在を知り得ないということではなく、ただ神の本質を知ることができない」(同書p159)という考えと関連して「神の無名性」を語ることになるのだろう。このような哲学的思弁は、考えが深いというのではなく考え過ぎているのだ。この「神の無名性」という観念は聖書的神信仰には無用である。旧,新約の別を越えて「名が神的主体を代示するもの」だといわれている(同書p153)。

「主体」と言えば逆に人間の主体を神名の啓示によって基礎付けるという考え方を示している論文が、木田献一氏の「『神の名』と人間の主体――比喩的解釈の試み」であるが、私は出エジプト記3:14の「エフイェ」を神名とは思わないので、木田氏が「神の顔=ヤハウェ(彼はあらしめる)=恐るべき神の面」と「神の背中=エフイエ(私はある)=赦し愛する神の面」との二面性を「比喩的解釈」として対照的に物語ることには説得力を感じない。しかも預言者エリヤがホレブ山で聞いて絶望から希望へと転換させられた「静かにささやく声」(列王記上19:21)が「エフイエ」であり、この神名を聞く者はエリヤと同様に「わたしはある」という人間の側の主体性を喚起させ自立および共生の場を開くというのである。すなわち「エフイエ」という神の名は「それを唱える人自身が、およそ『わたしはある』ということを自分自身の存在についても確認するようになる」というのであり、これが木田氏の指摘する神名の啓示体験であるが、それを言うためにはまず、「エフイエ」という言葉が「ヤハウェ」の主体性を示す機能を有することを学問的に示し得なければならない。創造主ヤハウェという「神」の側の主体性や実体性が明示されてはじめて、その啓示を受ける「人間」の側の主体性が確固とされるからである。しかし木田氏の視点は「人間」の側に偏っているように見受けられる。その表れは、「エフイエ」の意味を単純に「わたしはある」と言っていることである。しかしその意味は存在を表すよりもむしろ「わたしはなる」という生成を表すとも云われているのであり、そのような言葉を神名として人間の主体性を喚起する啓示体験の根拠とするのは違和感を否めず、聖書的神論としては危さを感じる。さらに真にして唯一の神名であるYHWH(ヤハウェ)が「ハーヤー」のヒフイール(使役・作為)形であり「あらしめる」を意味するということも専門家の中では多数派の見解とは言えない。

 

いずれにせよ、イスラエルの民は神の名を重視していたからこそ口に出すことを畏れたのだ。土井氏は考え過ぎて大きな誤解をしている。土井氏は前の箇所で『コヘレトの言葉』にふれて、<透徹したリアリズムにはわたしも共感するところが多いのですが、それでは神の働きが否定されてしまいます。因果応報の働きをしないとすれば、どのようにして神の存在を日常の生活から確認すればいいのでしょうか。さらには、神が「いる」としても、それはどのような意味で「いる」ことになるのでしょうか。>と述べている(p115)が、このもの言いはコヘレト書の主旨ないしは旧約聖書の知恵文学と称される文書の主旨を理解していないことが露呈されている。捕囚期後のコヘレトの状況ではもはや「因果応報」の論理は通用しない現実になっていた。だからコヘレトはその不条理である「空」(hebel)なる現実を直視して、その空しい日常生活の中にも「神」の「賜物・贈り物」を見出すプラス志向の知恵を示したのだ。それもまた相対性を免れ得ず、空しさを無くすようなものではないが、言わば「空」と共存し、「空」に於いて(対)神関係を生きる実存主義的生き方を示している。土井氏は、コヘレトの「神」が<どのような意味で「いる」ことになるのでしょうか>と問うていまる、その「神」は「空」と「非空」との二重性において「ある」。すなわち実存において単純素朴に信じるときに「ある」というしかたで「ある」のだ。かく問う土井氏の「神」こそ、<どのような意味で「いる」ことになる>のか逆に問われるべきであろう。土井氏は、それくらいおかしなことを、上で引用したとおり「一神教」をめぐって書き連ねているのだ。イスラエルの歴史が仮に、実存的な拝一神教から観念的・抽象的唯一神教に発展(?)したとしても、イエスという個人が現れて、「神」は再び「父」としての具体性を有つに至った。土井氏は唯一神教としてのキリスト教では、名前があるということの例外は「イエス・キリスト」であると述べているが(p122)、実に不十分な認識であり、聖書が啓示する「神」は「イエス・キリストの父」として、その「子」なる「イエス」の「名」を通して祈りをささげられるべき存在である。それは「イエス=キリスト」が「ヤハウェ=神」へと至るための「道・媒介者」であることを意味している。この「道」によって我々異邦人も聖書が啓示する「神」を呼ぶことが出来るようになり、その「(原)父」との関係の中に生かされる恵み(=福音)を与えられたのである。

「神の名」について参照:http://ytbpch.jp/nyuumon/sinnmei.htm 

 

以下は、山我哲雄著『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』(筑摩書房)の第3章「ヤハウェという神」の「ヤハウェという神名」(p100~)より引用。

<アラビア語などの他のセム系言語でもそうであるが、ヘブライ語では元来は子音字しか書かなかった。なぜそれで読んだり理解したりするのに問題が生じないかというと、日本語の漢字の多い文章も振り仮名なしで読めるのと同様に、読み慣れさえすればさして支障は生じないのである。ただし、固有名詞の場合には、漢字文でもしばしばそうはいかない(「吉川」は「よしかわ」なのか「きっかわ」なのか)。ヘブライ語の場合も同様である。イスラエルの神の名前(固有名詞)は、YHWHに当たるヘブライ文字四字で表された(一〇三ページの表の④)。この神名は、古い時代には、祭儀などの際に高らかに唱えられたらしい(出三15、三四5-7等)のだが、十戒(本書二七八ー九ページ参照)の第三戒(出二〇7)に神の名を「みだりに」唱えてはならないとされていることなどから、時代が進むとユダヤ人の間で次第に神の名の発音が敬遠されるようになり、聖書の朗読などに際してはこの「神聖四字」を「わが主」を意味する「アドナイ」の語や「御名(シェム)」の語で読み替えるようになった。そのような習慣が二〇〇〇年以上も続いたため、この神名の元来の発音がユダヤ人自身にも分からなくなってしまったのである。現代の研究では、母音字を伴うギリシア語文書などの表記により、元来の発音がほぼ「Yahweh」、カタカナで書けば「ヤハウェ」ないし「ヤーウェ」であったと復元されている。なお、文語訳などで用いられた「エホバ」の語は、元来の発音が不明であったころ、YHWHの子音字にその読み替えである「アドナイ」の母音(a,o,a)を無理やり当てはめた「イェホヴァ」に由来し(ヘブライ語の音韻規則上、最初の母音「ア」は「Y」音の後ろでは短い「ェ」に変わる)、現在では一般的には用いられていない(キリスト教の一派にはこの表記に固執するところもあるが)。神の固有名詞を発音しないこのユダヤ教の伝統は、後にキリスト教にも取り入れられ、聖書を翻訳する際にも、神聖四字は「主」に当たる語(ギリシア語では「キュリオス」、ラテン語では「ドミヌス」、英語では「ロード(Lord)」)で訳されるようになった。日本で現在、よく用いられている「新共同訳」でも、神聖四字が地名の一部をなしている一箇所(創二二14の「ヤーウェ・イルェ」)を除外として、神聖四字は「主」の語で訳してある。名詞には通常、何らかの意味がある。例えば「アマテラス」という神名は、「天を照らす」という、この女神の太陽神としての特性を表している。ところが、「ヤハウェ」という神名の意味や語源については数多くの仮説があるが、定説はないというのが最も適切であろう。そもそも「ヤハウェ」という語はヘブライ語からはうまく説明できず、おそらくはヘブライ語起源ではない。一部の研究者はそれを古いアラビア語の「吹く」という動詞と関連させ、この神がもともと嵐の神であったことの名残であると論じ、別の学者はそれを古代シリア語の「落とす」という動詞と結び付け、この神はもともと「雷神」であったと主張するが、学識ある思いつき以上のものとはいえない。ただし、旧約聖書にはただ一箇所、この「ヤハウェ」という神名をヘブライ語から説明しているように読める箇所がある。それは、モーセが初めてヤハウェに出会い、イスラエルをエジプトから救い出すように命じられる、いわゆる「モーセの召命」の場面(出三章)に含まれる。(中略)新共同訳が「わたしはある。わたしはあるという者だ」と訳した原文は「エヒイェ・アシェル・エヒイェ(略)」で、「ある」の一人称の形「エヒイェ」が二つ、関係代名詞「アシェル」で結ばれている。英語に訳せば、そのまま「I am who I am.」となる。未完了という動詞の形は一般に、過去の一回的な行為や出来事ではなく、現在起こりつつある出来事や未来の行為を表すので、「I will be who I will be.」と訳す場合もある。最初の動詞を本質規定、二番目の動詞を存在規定と解して直訳すれば、「わたしは、『わたしは存在する』という者である」ないし「わたしは、『わたしは存在するだろう』ところの者であるだろう」となろう。いずれにせよ、謎めいていて神秘的な表現であることは確かである。それでは、この「ヤハウェ」という神は、いつ頃からイスラエルで崇拝されるようになったのであろうか。この問題を考える際の一つの手がかりとなるのが、人名である。古代のセム系の人々は、子供に名づけをする際に自分の崇拝する神の名を織り込むことが多かった。(中略)イスラエル人やユダヤ人の名前には、「ヤ」や「ヨ」で始まったり、「ヤ」で終わるものが多いが、そのほとんどは「ヤハウエ」の名の要素を含んだものなのである。(中略)ところで、興味深い現象がある。実は、創世記でイスラエルの祖先とされるアブラハム、イサク、ヤコブはもちろんのこと、イスラエル一二部族の祖先とされるヤコブの息子たちの中にも、ヤハウェの名の要素を含んだ人名(以下では「ヤハウェ系人名」とする)を持った者は一人もいないのである。それどころか、そもそも創世記にはヤハウェ系人名は一つも出てこない。(中略)何よりもまず、イスラエルの前史の早い段階では、ヤハウェという神がまだ知られていなかったということを示唆する。(中略)それでは、旧約聖書に登場する人物で、はっきりしたヤハウェ系の人名を持つ最初の人物は誰であろうか。実はそれが、モーセの後継者でありカナン制服の指揮官でもあったヨシュアなのである(名前の意味は前述のように、「ヤハウェは救い」)。この「符号」は、極めて意味深長である。(中略)ある伝承によれば、彼のもとの名前はヨシュアではなく、ホシェアであった(民一三16)。ことによるとヨシュアは、ヤハウェ崇拝への最初の「改宗者」の一人であったのだろうか。(中略)もし、一方では王国時代のヤハウェ崇拝が圧倒的に優勢で、他方でそれ以前の最初期のイスラエルでヤハウェという神が知られていなかったとすれば、ヤハウェ信仰以前にこのイスラエルはどんな神を崇拝していたのであろうか。それを考える際のヒントも、「イスラエル」という名自体にある。(中略)ヤハウェ信仰以前にイスラエルでエルという神が崇拝されていたことは、ここでもまた人名研究によって裏付けられる。(中略)王国時代以前にはヤハウエ系の人名が少なく、王国時代になるとヤハウェの名が圧倒的に多くなる。(中略)王国成立時代まで見てみると、ヤハウェ系よりもエル系の方が三倍近くも多いことが分かった(中略)少なくともイスラエルの初期の時代には、エルの崇拝が優勢であった。(中略)いずれにせよ、このシケムの「エル・エロヘ・イスラエル」が、やがてヤハウェと同一視されて「ヤハウェ・エロヘ・イスラエル」(イスラエルの神、ヤハウェ)となったのである。(中略)このヤハウェとエルの同一視ないし習合に関連して、とりわけ興味深い場面が創世記一四章に見られる。「エル・エルヨーンの祭司」であったメルキゼデクは、明らかに自分自身の神によってアブラハムを祝福したのであるが、文脈上アブラハムは、その神を自分の神ヤハウェと同一視したことになる。ここには、おそらくダビデ時代以降、ヤハウェとエル・エルヨーンが同一視されていった経過が反映されている。「エル・エルヨーン」はイスラエル以前のエルサレムで祀られていた神であったと推測できる。その際に、エルとエルヨーンがもともと別の神格であった可能性もある(イザ一四14等参照)。その場合には、「エル・エルヨーン」はすでに「エル」と「エルヨーン」が習合したものだったということになろう(中略)ヤハウェはもともとパレスチナ南方の嵐の神であり、特定の集団に結び付いてこれを守り導く神であったが、それがやがてイスラエルの民族神、国家神となったと考えられる。これに対し、創世記一四章では「エル・エルヨーン」が「天地の造り主」と呼ばれている。(中略)ウガリトの神話でもエルは世界の創造神であった。「エル(・エルヨーン)」と習合し、同一視されることによって、ヤハウェはやがて創造神としての属性を身に受け、より普遍的な意味と性格を持った神として観念されていくことになったのであろう。>

さらに山我氏はヤハウェ神のルーツに関して「ミディアン人の神? カイン人の神?」(p138~)で以下のとおり述べておられる。

<モーセの義父エトロは「ミディアン人の祭司」であったというが、どんな神に仕える祭司だったのであろうか。モーセが出エジプトに成功したことを聞いて、エトロは、モーセたちが滞在していた「神の山」に訪ねてくる。そこで犠牲をささげて祝宴が行われるが、その際に祭儀を司るのはモーセでもなく、イスラエルの祭司の祖先とされるその兄アロンでもなく、「ミディアン人の祭司」であるエトロなのである(出一八1-12)。この箇所では「神(エロヒーム)」の語が用いられているが(同12節)、犠性がヤハウェに捧げられたことは文脈上明白である。それゆえ、エトロはもともとヤハウェに仕える祭司だったのであり、ミディアン人の崇拝していた神ヤハウェが(モーセを介してかどうかは別として)イスラエルに伝えられた、という可能性を考えることができる。これは、ヤハウェのミディアン人起源説ないし単純化して「ミディアン人仮説」と呼ばれる。モーセの義父については、異伝も存在する。別の箇所では、この義父はミディアン人ではあるが、「レウエル」という名前になっている(出ニ18、民一〇29)。ただし、士師記一章16節、四章11節によれば、モーセの義父はケニ人ないしカイン人で、「ホバブ」という名であった。ケニ人ないしカイン人も、パレスチナから見て南方を活動地とする遊牧的な集団で、後のイスラエルとの関係は友好的な場合(サム上一五6)と敵対的な場合(民二四21-22)があり、複雑であった。前述の「デボラの戦い」でイスラエルに敗北したハツォルの将軍シセラは、カイン人ヘベルの妻ヤエルの天幕に逃げ込んで、彼女に殺された(士四17-22)。彼女の英雄的な行為は、「デボラの歌」の中で最大級に絶賛されている(士五24-27)。アダムとエバの息子の一人として有名なカインは、おそらくこのカイン人の名祖(一族の名のもととなった祖先)である。周知のように、現在ある物語では、カインは弟アベルを殺した人類史上最初の殺人者として極めて否定的な人物として描かれているが(創四1-16)、他方で彼はヤハウェの加護を受け、そのために特別な「しるし」を与えられていたともされる(同15節)。そこで、一部の研究者は、カインないしカイン人こそ最初のヤハウェ崇拝者だったのであり、後にそのヤハウェ信仰をお株をイスラエル人に奪われたのではないか、と推測する。これが「カイン人仮説」ないし「ケニ人仮説」と呼ばれるものである。ミディアン人もカイン人も、パレスチナ南部から北西アラビアまでを活動領域とする未定着の遊牧民ないし牧畜民であり、似たような生活環境にあった。ことによると、彼らの間に何らかの直接的な関係(一方が他方の一氏族であったというような)があったのかもしれない。ヤハウェは、もともと、この地方のさまざまな遊牧集団が共通して崇める神だった可能性もあり、その中の一部が後に北上して「イスラエル」に加わり、ヤハウェという神の崇拝を伝えたということも考えられる。ヤハウェが出エジプトの神であったということと、ヤハウェがパレスチナから見て南方の遊牧民、牧畜民に崇められていた地方的な神であったということは、相互に他を排除する仮定ではない。ここで考えておくべきは、実際にエジプトから脱出した集団は、おそらくは特定の閉鎖的な民族集団ではなく、エジプトで同じように奴隷的な生活を強いられていた、混成的な集団であったろうということである(出一二38)。多くは外国出身で、エジプト人としての正式の身分を持たず、建築活動などに従事していた下層階級の人々は、エジプトで「アピル」と呼ばれた。この語は音声学的には、青銅器時代の末期のカナンで不穏な動きをしていた「ハビル」(七五ページ)にほぼ対応し、「ヘブライ」という概念とも関連すると見られている。いずれにせよそれは、特定の民族集団に属さず、社会の下層にあって、通常の社会秩序の外で活動を行う――――あるいはそのような活動を強いられる――――人々を指す社会的な概念であった。出エジプト集団のうちに、もともとパレスチナ南部の牧畜民出身でエジプトに下り、そこで「アピル」になった人たちがおり、それが「出エジプト」に加わってエジプトを脱出した後、それを自分たちの伝来の神ヤハウェの救いの業と信じたという可能性が考えられてよい。たとえそうでなかったにせよ、出エジプト集団がエジプト脱出後、放浪を続けるうちにパレスチナ南部の荒野にいたヤハウェ崇拝者の牧羊民の集団と出会い、何らかの形でそれと合流し、統合したということがあったのかもしれない(民一〇29-32)。さまざまな可能性が考えられるが、それらを実証的に検証することはできない。前章の最初に記したように、牧羊民や遊牧民は碑文も考古学的痕跡も残さないからである。いずれにせよ、「イスラエル」では当初、ヤハウェという神が知られていなかったことは確かである。それが王国成立時代の前後に知られるようになると、それまでの「イスラエル」の中心的な神格であったエルと習合し、ヤハウェ系の人名の圧倒的な増加にも示されているように、この神の崇拝がイスラエルの中ですさまじい勢いで広がっていったのであろう。>(※「アピル」の「ピ」はPIで、「ハビル」は「ビ」はBI)

ちなみに、NATIONAL GEOGRAPHIC CHANNELの番組「覆る聖書の常識」では「シャス」という民族名が出てきた。<「出エジプト記」によれば、モーセはエジプト人を殺しエジプトから逃亡してミディアンの地へ赴く。そこでミディアンの祭司の娘と結婚し、羊飼いをしている時にYHWHと出会う。カルナック神殿の壁に刻まれた記録によれば、その時代、ミディアンの近くにはシャスという民族が住んでおり、彼らのすむ土地の名前がYHW(ヤフ)。崇拝していた神もYHWという名だった。地名と神名が一致する例はエジプトでもよくあるパターンで、たとえばバストの町の守護神がバステト(またはバスト)だったりする。>

http://55096962.at.webry.info/200905/article_4.html

※あとで顧問の旧約学者に訊いて調べたところ、次のような見解だった。

<たしかにYHWをヘブライ語と比較するとYHWHのうちの三つの子音字にほぼ一致するが、はたしてこれが本当に「ヤハウェ」の神名なのかどうかは、エジプト学者や旧約学者の間でも論争の的になっている。何しろ外国の文字で書かれたものなので、正確に対応するかどうかがはっきりしないからである。ヘブライ語もエジプト語も子音字しか書かないので、YHWが本当に「ヤフ」と読まれたかどうかも不確か。「イフウ」とも「ヨヘウ」ともいかようにも読めるからだ。このテキストからは、「YHWのシャス」と呼ばれる集団がいたことは分かっても、「崇拝していた神もYHWだった」とはどこからも言えない。重要なのは、同じテキストに「セイルのシャス」についての言及があるということ。「セイル」は明らかにパレスチナ南方のエドム人が住んだ土地の地名である。語構造が全く同じなので、「YHWのシャス」の場合もYHWの語は地名ではな いかという説が有力。だから上記の山我氏の著書でもこの説は取り上げられてはいないのだろう。ただし、学者の中には、YHWがもともと地名であることは認めながら、それが二次的に神名となったと主張する者もいる。類例として、ギリシアの町の名「アテネ」が女神「アテナ」になったり、アッシリアの首都の「アッシュル」がそのままアッシリアの主神の名になった例を挙げる。しかしこれにくみしない学者の方が主流だろう。そもそも聖書関係でテレビで放送されるようなものにはセンセーションをねらった怪しげなものが多いので、注意が必要である。>  

 

ところで、「このころ、ヤハウェの名を呼ぶことが始まった。」(創世記4:26)というこの言葉を「宗教」の始まりだと解し、「レリジオ」(羅)の意味は「再結合」で堕罪後の人間における神との再結合への願望が投影されたものといった否定的な解釈を施して、これと「福音」とを分離する人がいる(=現在は終了した某ブログの記者G氏)。しかしそういうのもある種の原理主義的志向であり観念的である。そしてこの人物は「万人救済」というドグマを絶対化したもの言いだが、それこそ「宗教」である事に気づいていない。「神」の前に純粋にあることは人間には不可能である。このG氏であれ大川隆法であれ浅原彰晃であれ誰であっても、人間が自己絶対化のもの言いで「宗教」的言辞を弄する時、そこで語られる「神」は本人がどう思うとも本人に都合のよい偶像としての面を有つ。しかしそういうことの全く無いあり方を求めることは理想主義であろう。いかに宗教的「神(観)」が人間の願望を投影していようとも、その「神(観)」を「神」それ自体とを区別する方が実際的なのである。しょせん「神」は(類比的)「神観」としてしかあり得ず、「神それ自体」を普遍・客観的次元で捉えることは出来ない。カント哲学に学んで然りだ。ただしカントは道徳主義であり宗教的実存ではないからわかっていないこともある。真に「神それ自体」を直観し得るとすれば個別に「神の霊」の働きを感得することによってであろう。この世に(客観的意味での)唯一絶対なるものは無い。「絶対他者」(のリアリティー)はあくまでも個々人の内面において有る。すなわち実存的(対)神関係において、「単純素朴に信じるとき、神はある」のだ(八木誠一著『キリスト教は信じうるか』〔講談社現代新書〕p203)「宗教」と「福音」とを分ける必要など無い。八木氏の著書の題に「イエスの宗教」とあるように・・・。 イエスの「天の父」なる神は旧約聖書の「ヤハウェ」と同一であり、ユダヤ教との違いは対象自体ではなくその観方(「神」観)にある。見えない存在であるが、イエスの「天父」はそのイメージの豊かさにより(イエスの譬えも活かされ)実在感が強い。 だからこそ自分の場合は対人関係と同様に一定の距離を取ることが必要。強迫観念になるから。「つかず離れず」が神関係でも適している (「つかず離れず」は「遠くして近き神」〔R・ブルトマン著/川端、八木 共訳『イエス』(未來社)第四章第八節参照。第七節に「父なる神」あり!〕に対応する)。
イエスは一人の史的人物として特殊で相対的存在であるが、その「天父」なる「神」は実存的次元において絶対存在である。イエスの宗教を生きるというのは先ずもって、社会で絶対化された相対的価値を相対化するという営みを意味する。社会的価値の絶対化に人は縛られて苦しむからである。それを助長しているのがテレビに代表されるマス・メディアにほかならない。

そうして自助・自立に努めることがイエスに従う道。イエスが、治癒した者に対して「起きなさい」と「行きなさい」と言って自分の力で歩み始めることを促したように、イエスの「天の父」は社会的不適応者らに対しても、その不安定な精神を支え、社会に反抗したり社会から逃避するのではなく社会の枠の中でしぶとく生き抜いてゆく活力を与えるのだ。またそう信じて公助や共助に期待する前に自助努力するだけしてみる気概を持ちたい。結果的に挫折しても、それは自分の信仰が幻想だったのではなく、それが自分の限界だったにすぎない。それはそれで諦め、現実を受け入れるのみである。
荒井氏など一部の知識人はイエスの言動に現代の人権イデオロギーを読み込んで、イエスの福音の対象を「劣者」とか「無資格者」とか言って、社会的弱者とか被差別者と言われている人々に限定する傾向がある。しかしそれでは宗教思想としては狭すぎる。イエスの福音の対象は社会的に抑圧されているか否かではなく(その判断は主観的事柄。人は皆、他者との優劣比較に於いて自我を生きているという現実をお忘れなく!「下見て暮らせ」で精神的平衡を保っている人々もいるが、内面に留まっているうちは「罪」ではない。民衆を美化したがる温室育ちで世間知らずの左翼インテリは親鸞聖人の言う〔例外なき〕「煩悩具足の凡夫」の人間観に立ち返れ!)、要は社会的価値基準(=現代社会ではマスメディアによって拡げられる考え方で、その典型はやはり学歴〔偏差値〕主義と職業の正規,不正規身分による所得格差だろう)によって存在を軽んじられている人々、バカにされている人たち。そこにこそ福音対象としての普遍性がある。
古代人イエスの言動について「倫理」という概念をもって理解しようとすることに限界があることを指摘しているのが八木誠一氏の神学であるが、その八木氏の場合はイエスの歴史的再構成の動機が消えてしまう。しかしその欠点を補っても十二分に余りあるほど八木氏の思想は深い。ただ、自分にとってはあくまでも史的イエスを媒介しての「神」こそが旧約聖書に示されたヤハウェの最も正当なる観方(=神観)であると確信するので、その信仰上の前提からイエスその人の歴史性についてもこだわらざるを得ない。イエスの人格とその「アッバ」なる「神」の人格(というか神格)とは不可分・不可同・不可逆の関係がある。イエスは現代でいうところの高貴な人格者である必要は全くない。ただイエス自身が社会的価値基準によって排除された状況に身を置いていなければ、彼が説いた福音は現代社会で支配的価値観のもとで絶望的になっている人々にとっての「福音」足り得ない。しかもイエス自身、絶望的状況を経験しただけではダメで、その立場から実存的に律法主義者の神観とは異なる神観に於いてヤハウェを捉え得た感覚と知性の持ち主であってこそ信頼に値する。その場合に「倫理」ということも主要な問題になる。特に所謂マタイの「山上の説教」の、中でも5:39,44が問題になってくる。 荒井献氏は「六つの(広義の)「反対命題」はイエス自身に遡ると見てよいであろう」と述べている(『イエス・キリスト 下』〔講談社学術文庫〕p63)。 大貫氏の『イエスという経験』では、「ここでは五つの命題すべての内容に立ち入って検討することはできない。」として、5:21-22、33-34の2箇所のみを扱っており(p173~)、5:39は聖書索引に含まれておらず、44節は45節との影に隠れて全くふれられていないも同然である(p74~75)。「希望の倫理」(p174~175)だの「責任倫理」(p176、264)ということ自体がやはり知識人的であり時代錯誤的感じを否めない。律法主義によって心身を抑圧されていた民衆をイエスが「神の国」の福音によって解放したのであれば、モーセの律法と同じか、それ以上に実行が困難であることを「反対命題」とか「徹底命題」とかいった形で人々に語ったということ自体、素朴な疑問が生じる。Q資料なるものの問題ということになるが、もし、そのようなことをイエスが語ったとして、どのような動機や目的で言ったのか?少なくとも「神の国」に入る条件として言ったわけではないだろう。条件として言ったのであればユダヤ教の律法主義と大差ない。しかしあくまでも古代人であることを念頭に置いて考えなければならない。『ユダヤ人イエス』(教文館)はユダヤ人による史的イエス像という期待に反してキリスト教書と大差ない保守的な内容ではあるが、「イエスによってなされるすべての価値の再評価は、牧歌的なものではない。罪人と正しい者との間には不幸さえも区別はなされない。」(p119)とか、「イエスの非終末論的な倫理上の教えでさえ、おそらく彼の神の国のメッセージに向けて志向されていた。サタンとその威力は覆えされ、また現在の世界秩序は破壊されるのであるから、そのことを冷淡に見据えて、反抗することによって強化されてはならないのである。したがって、だれも悪人に抵抗すべきではない。その敵を愛すべきであって、ローマ帝国を攻撃するように挑発すべきではない。それは神の国が隈なく実現されたときには、これらの一切は消滅してしまうからである。」(p132)といった箇所など、かなりイエスの時代の歴史的文脈に即していると感じる。その「・・・挑発すべきではない。」はヨセフス『戦記』によるものであると注記されている。
大貫隆氏もやはり知識人としての限界を、八木氏のようには乗り越えてゆけないのはその出自にある。すなわち、歴史的再構成の立場である荒井献氏(p2)の門下であるということ(私自身、まぶね教会で荒井献氏と共におられた大貫氏に会っている。もっともその頃は大貫氏は無名だったので、荒井氏が私に大貫氏を紹介してくれたのに関心を持たず荒井氏にばかり話かけた)、そして大貫氏自身、この書の「あとがき」で述べておられるとおり、新約聖書研究に入った動機が「キリスト教原理主義批判」という、政治や社会倫理と密接に関係ある事柄だったということである。大貫氏は、「神の無条件の赦しと人間のエゴイズムの問題」に関して<この点では、私は八木誠一の次の言葉が「非終末論的」と「終末論的」という伝統的な二項対立の表現を別とすれば、最も核心を突いていると思う。>(p262)と述べ、『イエスと現代』(p106~107)から引用している。
ところで八木氏は別のところで次のように述べている。

神関係というものは、単純素朴にしか成り立たないのである。(中略)何かを根拠として神の有無を考え出したら必ず解らなくなる。神はあるのかないのか解らない、としか言えなくなる(二律背反)。それに対して、単純素朴に信じるとき、神はある。(中略)この世界の何かを根拠として立てられる神は偶像として否定されなくてはならない。聖書を根拠として立てられる神も同様である。だから、そういう意味ではなしに、結局ただ極めて素朴にこう言うより仕方ないのである。神はあるからある。単純素朴に信ずるとき、そのことが明らかとなる、と。>(八木誠一著『キリスト教は信じうるか』〔講談社現代新書〕p203)
神自身は場所でも人格でもない。結局のところこれらは比喩である」(同書p6)

つまり「神」は科学的対象ではないが、さりとて人間がいくらそれらしく語っても所詮「比喩」の域を出ず、その点ではキリスト教が絶対化し「異端」のレッテルを貼り付けた者たちを暴力的に排除してきた「三位一体の神」も例外ではないのだ。その歴史的事実を捨象して、今もなお護教神学者たちは「三位一体」に関して多様性だの何だのといって美化し、批判を避けるために神秘のヴェールにくるんで聖域に置いている。いずれにせよ「人格(神)」は比喩であって「神そのもの」ではない。「神」の写像ではない。三人格の神なんてナンセンスの極みである。もちろん一人格の神と言っても、それもまた比喩であることに変わりはない。考え過ぎはダメだが、「神」が「語り得ぬもの」であることの自覚を抜きにした形而上学的思弁ほど無意味で空しいことはない。啓示も「人格神(観)」を前提とするドグマとして相対化される。だから歴史的にみても、「三位一体論」論争だの「キリスト論」論争だのといったキリスト教の論争ほど一般庶民の生活から乖離した、くだらない営みは他に無いのだ。
イエスの「天の父」を有つ現実的益は生きる活力を得ること。絶望的になっても自殺など考えず、たとえ社会的にみれば「虫けら」(詩篇22:7)の如き無きに等しい存在であっても、コヘレトのように(2:24、5:17他)、日々の飲食や労働などにささやかな喜びを見出してこれを神の恵みだと感謝して生きてゆく創造信仰にもとづく「知足」の知恵、そしていずれ死の時が来たら「霊はこれを与えた神に戻る」(12:7)と覚悟して身辺を整理し従容として去ってゆく、いたずらに来世を想い描いたりはしない、そういうことこそまさに神を畏れる実際的信仰なり。創造主帰一! イエスの「天の父」の実在そのものが救いである。いかに空しく感じられる、不条理でアンフェアな世界であっても「神はあるからある」・・・そのこと自体が最大の喜びなのだ。

 

<少なくとも、イエスを全能の神の「実体」として把握し、そのキリスト論への「信仰」を救いの核心にしてきた従来のキリスト教は根本的に修正されざるを得ない。ニカイア信条的・カルケドン信条的神学の解体である。(中略)「私を通らずして父のもとに至る者はいない」(ヨハネ一四6)という排他的言表が、イエスの主張であるよりは後代のキリスト教徒の自己主張の投影であると認識され、イエスはむしろ、究極のリアリティを自ら受けた一介の人間として捉えられる。こうした思考は、さきに述べたような現代聖書学のもたらすイエス像を最も有効に応用するであろう。>(佐藤研著『禅キリスト教の誕生』〔岩波書店〕p58~59)

 

神の霊が私を造り、全能者の息が私を生かす。」(ヨブ記33:4 並木浩一訳)

 

「あなたが顔を隠すと彼らはおびえ、あなたが彼らの霊を集めると彼らは息絶え、彼らの塵に帰る。あなたがあなたの霊を送ると彼らは創られ、あなたは土地の表を新しくする。」(詩篇104:29~30 松田伊作訳)

 

「誇れ、かれの聖なる名を、喜べ、ヤハウェを尋ねる者たちの心は。求めよ、ヤハウェとその力とを、尋ねよ、かれの顔を常に。」(同上、105:3~4 同訳)

 

<われらにではなく、ヤハウェよ、われらにではなく、あなたの名にこそ、栄光を与えて下さい、あなたの恵み〔と〕真実のゆえに。なにゆえ諸国民は言うのか、「彼らの神は、いったいどこだ」と。われらの神は天に〔いまし〕、おのが悦ぶことをみな行なう。>(同上、115:1~3 同訳)

 

ヤハウェを畏れることは、いのちの泉、死の罠から免れさせる。」(箴言14:27 勝村弘也訳)

 

「友愛と真実によって、咎は覆われる。ヤハウェを畏れることによって、〔ひとは〕悪から離れる。」(同上、16:6 同訳)

 

「人の心は、その道を考え出すが、その歩みを導くのは、ヤハウェである。」(同上、16:9 同訳)

 

人の息は、ヤハウェの灯火。腹の中の隅々まで調べあげる。」(同上、20:27 同訳)

 

<私を貧乏にも富裕にもしないで下さい。私に適する量のパンを味わわせて下さい。私が飽き足りて、〔あなたを〕否認し、「ヤハウェとは誰か」と言うことのないように。また、私が貧乏になって、盗みを働き、私の神の名を粗末に扱うことのないように。>(同上、30:8~9 同訳)

 

「神の前では、言葉を出そうとして、慌てて口を開いたり、心を焦らせたりするな。なぜなら、神は天におり、あなたは地上にいるのだから。」(コーヘレト書5:1 月本昭男訳 )

 

「幸いの日には幸いであれ。災いの日には〔災いを〕見つめよ。人間が後のことを何一つ見きわめ〔られ〕ないようにと、神はあれもこれも造り出したのだ。」(同上、7:14 同訳)

 

「そして、塵はもと通りに地に戻り、霊はこれを与えた神に戻る。」(同上、12:7 同訳)

 

神ヤハウェが、こう言われる、すなわち、天を創造し、これを張り巡らし、地とその作物を推し広げ、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を授ける方が、「わたし、ヤハウェは、義をもってあなたを呼び、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約と、また国々の光とする。>(イザヤ書 42:5~6 関根清三訳)

 

<あなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――、また、わたしが選んだわが僕だ。〔選んだのは、〕あなたたちが知って、わたしを信じ、わたしがその者だと、悟るためである。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にも存在しない。わたし、このわたしこそ、ヤハウェであって、わたしの他に救い主はいない。このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたたちのうちに、他には〔神は〕いなかった。そしてあなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――。わたしが神だ。これから後もわたしがそれだ。わたしの手から取り返せる者はなく、わたしが事を行なえば、誰がそれをもとに返すことができようか」。>(同上、43:10~12 同訳)

 

「まことにわたしは干からびた地に水を、乾いた地に流れを、注ぐ。わが霊をあなたの子孫に、わが祝福をあなたの裔に、注ぐ。こうして彼らは、青草の中にあって、水のほとりの柳のように、芽生える。」(同上、44:3~4 同訳)

 

<ヤハウェが、こう言われる、イスラエルの王、これの贖い主、万軍のヤハウェが、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしの他に神はいない。>(同上、44:6 同訳)

 

<わたしがヤハウェである。他にはいない。わたしの他に神はいない。わたしはあなたに力を帯びさせるが、あなたはわたしを知らない。これは、わたしの他には空であると、日の上る方からも、暮れる方からも、人々が知るためだ。わたしがヤハウェである。他にはいない。〔わたしは〕光を造り、闇を創造する者、平安を作り、災いを創造する者。わたしはヤハウェ、これら総てを作る者」。>(同上、45:5~7 同訳)

 

ヤハウェは、胎内にある時から私を召し、母の腹にいる時から私の名を呼ばれた。」(同上、49:1b)

 

<彼は私に言った、「人の子よ、あなたの足で立て。わたしはあなたの語ろう」。彼が私に語ったとき、霊が私の中に入り、私をわが足で立たせた。私は私に語りかける方〔の声〕を聞いた。>(エゼキエル書2:1~2 月本昭男訳)

 

「こうして、わたしがお前たちの墓を開き、お前たちをわが民としてその墓から上らせるとき、お前たちは知るであろう、わたしがヤハウェである、と。わたしがお前たちの中にわが霊を与えるとき、お前たちは生き〔返〕るであろう。」(同上、37:13~14 同訳)