古代人イエスのABBA(3)

 

Ⅰ.「イエス止まり」を超えて

「狭い門を通って入れ。なぜならば、滅びへと導く門は広く、その道は広大である。そして、そこを通って入って行く者は多い。〔しかし、〕命へと導く門はなんと狭く、その道はなんと細いことか。そしてそれを見いだす者はわずかである。」(マタイ7:13~14/ルカ13:23~24参照)
「私は道、真理、命である。私を介してでなければ、誰も父のもとに行くことは〔でき〕ない。」(ヨハネ14:6)

少しでも歴史的イエスの人物像に近づこうとすれば、新約聖書(乃至はその「正典」を結集したキリスト教会)という道、それも単に新約聖書を読むだけでは無理で、その学問(聖書学)を媒介しなければ不可能である。その点では日本語でしか文献を読めない者にとっては特に、東大の西洋古典学派の研究による恩恵ははかり知れないものがある。イエスに近づくためにはまさにこのように「狭き門」を通ってキリスト教を否定媒介する新約聖書学の「道」を通らないといけない。それによって福音書に隠された福音の「真理」にふれることが可能となる。しかしそこでとどまったのでは「命」には至れない。イエス自体ないしは彼との出会いを究極の「命」とみなしてそれ以上は進まないのがキリスト主義宗教たるキリスト教である。何故、そうなるかと言えば彼を特別な存在と見て、もはやその「父」なる「神」との関係を事足れりとするからである。歴史的には、<弟子たちはイエスの生前神の支配に目ざめず、イエスの死後「復活のキリスト」を見た、つまり実存の根底を復活のキリストと解したのであるから、原始キリスト教団の宣教の中には、ひとびとの罪のために死に・甦ったキリストが中心的位置を占めて、「神の支配」という用語は後退していった>(八木誠一著『イエス』〔清水書院〕p197198)ことに起因する。しかしこの原始教会に於ける宣教の「キリスト中心~十字架の神学」はヘブライ語聖書にもとづきヤハウェ信仰を大前提としたものである。ところがユダヤ教から袂を分かち異邦人伝道に伴いヘレニズムの影響をますます強く受けるようになると、その前提であるヤハウェ信仰が希薄化してキリストの神格化が進み、ヤハウェの存在を否定するにはならないにせよ事実上の主役入れ替え(=キリスト中心主義)に発展してゆく。これを私は「イエス止(ど)まり」現象と呼んでいる。歴史的・批判的聖書研究では彼を理想的人間とみなすことにより内在化させて「(史的)イエス止(ど)め」になり、正統的キリスト教の神学は彼を「神」と同一本体の「神人」とみなして外在化することにより「(神の子)キリスト止(ど)め」をする(その典型がキリスト一元化のバルト神学である。唯一絶対なる啓示としての「聖書に証しされたキリスト」を知れば、教会教義学に於ける項目としてはともかく、内実的には「父」なる「神」との交わりは無用となる。否、むしろ創造主なる絶対「神」の現前は「キリスト論的集中」と「キリスト中心主義」にもとづく「三位一体論」の上で不要とされる)。しかし、永遠の命はその先にある。正統的神学は「三位一体」の教義によって、その先にある存在(との交わり)を隠してしまっている。この「三位一体」という壁を打ち崩さない限り、イエスと、彼が「アッバ」と呼んだ父なる「神」との関係(=イエスが「神の支配(に入る)」と言った福音)に与ること、すなわち所与の「神(との)関係」を「(永遠の)命」として自覚的に受け取ること(これこそ「信仰」の第一義なり!)は出来ない。「永遠の(生)命に入る」とか「永遠の(生)命に与る」ということは、自分自身が史的イエスとの実存的出会いを通して、生得的に与えられていた(すでに招き入れられている現在の)「神(との)関係」に気づき、自覚的に再入する(再生する)ことにほかならない(その再入の記念・しるしが「洗礼」である)。
だからイエス・キリストとの出会いを終点としてはならない。イエス自身は、聖所と至聖所との間の垂れ幕である(ヘブル10:20)。父なる「神」との個人的交わりの場は至聖所である。「神の国」(=「神の支配」とも訳されるが、八木誠一氏は「神が古代的専制君主であるかのように聞こえてしまう」ので「神のはたらき」と訳すべきだと言われる〔『イエスの宗教』p125参照〕。ギリシャ語で〔八木氏の音訳とは違うが〕「バシレイア・トゥー・セウー」、ヘブライ語で「マルクート・ヤハウェ」)に入ることは来世としての「天国」に入ることではなく、現実・現在に在って、この至聖所に入ることを意味する(それを「神を有つ」ともいう)。ただしイエスという幕を通り抜けなければならない。彼を抜けずしては福音を聴けず原罪の悔改めに至らず、従って真実の「神」へと向かうことは出来ない。すでに、生得的に原事実として成立している「父なる神=創造主」と自分との関係を正しく自覚化せしめるための仲介者がイエスその人である。その言葉だけではなく、彼の生涯の全てである。しかしそれが示されるのは摂理によって定められた66文書の正典聖書全体である。イエスは聖書の中心である。なぜなら、聖書の本来の主役であり本尊・本丸である「神」は形なく見えない無制約者だからである。イエスの存在が「神」を対象化せしめる。
前述のとおり、究極の救い、すなわち「永遠の(生)命に与る」ということは、創造主にしてイエスと我らの「父」である「唯一の真の神」(さらに「イエス・キリスト」を付加・挿入してイエス自身を対象化しているが彼は対象との仲保者である)を知るようになること(ヨハネ17:3)、「知る」とはすなわち人格的な交わりに入ることだ。ただし、そのためには仲保者となるキリスト如何による。教会教義の「三位一体」の第二位格である「神の子」であり「主」であり「(子なる)神」としての「イエス・キリスト」ではなく、生きた時代および社会は違いこそすれ我らの同じく人としての苦悩を抱えて生きた煩悩具足としての史的イエスを媒介する必要がある・・・というのが私の「神」信仰の大前提。それはキリスト教の異端ではないかと言われるかも知れないが、ブルトマンのように「キリスト教」を「イエスはキリストである」と告白する宗教と定義するだけであれば、イエスを神格化せずともキリスト教徒たり得るのだ(「キリスト」〔~「クライスト」~「クリストス」~「メシア」~「マーシアハ」〕=「油を注がれた者」・・・「油を注ぐ」とは王として認めるという儀礼的行為。なお、「キリスト教」〔Christianity〕という名称の歴史的意味については佐藤研著『はじまりのキリスト教』〔岩波書店〕の<序章「キリスト教」というアイデンティティ>を参照。ここで指摘されていることと異なることで、よく云われていることを一つだけ挙げておく。それは、キリストの創始者がイエスではないということは一般にも言われているが、では使徒パウロが創った宗教かというと、そうだとする説が少なくない現状にあって佐藤氏は、「パウロが造ったわけでもない」〔同掲書p4〕と断言していること。「キリスト教」の由来はどうであれ、佐藤氏が「三位一体」の「再解釈、再定義」ということを述べておられるように〔『禅キリスト教の誕生』(岩波書店)p213〕、「カルト」を除き、信条面での多様性を踏まえた「キリスト教」の「再解釈、再定義」は可能であろう)。
ここで佐藤氏が述べておられることで特記しておきたいことは、キリスト教の伝統的定義(~『広辞苑』の「キリスト教」参照)は「イエスをキリストと認める」+「その人格と教えとを中心とする」であると言われるが、前者は「私たちの世界にはほとんど意味の消滅したお題目になって」しまうこと、後者は<イエス自身が「神の子」云々として初めから神聖体であったわけでは実はなく、彼自身が変貌し、飛躍し続けたという観点から見直すべきであり、その際、イエスの強さと弱さ、限界と深さとをどのように受け止め、そこから知恵と勇気とを汲み取るか>ということ。しかしそのように「再定義」しても、私見では「イエス止まり」は変わりがない可能性は高いと思われる。関心の的を「イエス」その人からその信仰対象である「アッバ(なる「神」)」まで及ぼさなければダメである。その点で私は、荒井門下の学者さんたちにはあまり期待できない。ただ、キリスト教批判の点でとても参考にはなる。
(伝統的、正統的)キリスト教は前述の「永遠の命」に与るための否定媒介なので、キリスト教を徹底的に批判し、否定することに於いてこそ至聖所へ近づくことが出来る。そのために打ち破るべき壁が「三位一体の神」および「神人二性一人格のキリスト」の二大教理であり、その神論,キリスト論を突き破るために避けては通れないのが、キリストの「復活」批判である。これこそパウロが言うところのキリスト教信仰に於ける核心であり、キリスト教会側にとっては最後の砦だからである(Ⅰコリ15:17.※そのパウロにとってイエスは「甦りによって『神の子』と定められた」存在であり、復活してこそ「神の子」たり得るのである〔ローマ1:4〕)。しかし「復活」批判は「復活」否定と同じことではない。むしろ「復活」といわれるリアリティーを究明するために、「受肉」や「昇天」や「再臨」などと共に非神話化して解釈し、多くの青少年が牧師や聖書科教師などによる正統的キリスト教の刷り込みを回避し、あるいは脱却して、イエスとの活きた出会いを得て、人生の根拠と目的とも言える創造主との関係を自覚し、「神の支配」の現実に入り、永遠の命を受ける恵みを阻害されないようにできれば幸いである。被造物としての自己理解・・・それも非神話化された上での現実的な被造自覚と生命の本源者である神への信仰を持っていてこそ苦難に耐えて自助努力によって生き抜いてゆける人格形成をなし得るのだ。
インターネットには「キリスト=神」のドグマがあふれているではないか!活ける「神」との交わりは、歴史的社会的現実の中で、自分達と同じく一人の人間として絶望的状況の中でも「父なる神」を仰ぎ見、希望を捨てずに生き続けたイエスと出会うことによって実現される。このイエスとの出会いを教団宗教は邪魔してはならない。そして邪魔させないための働きとして、このサイトの使命と存在意義がある。特に、イエスが「神」である根拠を「復活」の出来事に置く人々が多いので、ここでは特に「復活」に付随する教理的神話性を批判することにより、復活の出来事はイエスが「神」である根拠にはならないこと、ただの人でも神によって復活(=「起し」の主体はあくまでも「神」)させられること、しかも終末ではなく現在に於いてあり得ることを指摘してやること(ヨハネ福音書11章のラザロの甦りは蘇生ではなく復活である)。

 

 さて、「復活」教理の史的実態は「遺体問題」である。キリストの「復活顕現 」自体は非神話化することに問題はない。現代人にとっては不思議なことも、当時の人間にとっては不思議でも異常でもなく、脳がそうであれば現代人には見えないものも見えることはあり得たからだ。歴史上の出来事は現象それ自体だけではなく当事者の認識と不可分である。ただしマタイ28:17「ある者たちは疑った」という言葉も軽視できないと思う。つまり複数の者が疑ったということ。また、ルカでは弟子の男たちが女たちの証言を信じず(24:11)、実際にイエス顕現にあうと恐怖に襲われ「霊を見ているものと思った」(24:37)と云う。
八木誠一氏は、『イエス』(清水書院)の最後の方で、<復活ということは、当時広く許容された考えであって、多くの人がそういうことがあると考えていたのである。とすれば、イエスの死後、弟子たちがイエスのように生きるようになったことを自覚したとすれば、イエスが復活してその力が弟子たちの中に働いていると考えたとしても、別段不思議はないであろう。>と述べておられる。
そして「空の墓」を伝説とみなし史実性を否定する根拠として、墓をふさいである石は女たちの力ではころがせないと分かっているのに彼女たちだけで行くなど、記事としてみても辻褄の合わない点が多いことを指摘している(『キリスト教の誕生』〔青土社〕p4142、『イエス』〔清水書院〕p194、『キリスト教の根拠と本質』〔理想社〕p43参照)。

福音書に記された、イエスの復活顕現に接した弟子たちの反応については、「ある者たちは疑った」(マタイ28:17)ことや無理解(ルカ24:15,31,38,41、ヨハネ20:25、21:4~7)があったと伝えられているが、彼らが信じていた「復活」とは「義人の復活」だったので、十字架刑という、律法に於いては神に呪われた者の刑罰(ガラテヤ3:13)によって死んだイエスが復活したことを信じられなかったのだろう。しかし直弟子たちはむしろイエスの十字架の死が呪われた者の死ではなく、裏切って逃げた自分達を赦す贖罪の死であることを必要としたから、復活はその確証として「義人の復活」と解されたのだろう。佐藤研氏は、イエスの同時代(BC.1~AD.1)は黙示思想的「復活」観念が一般化していたと指摘する(佐藤研著『イエスの父はいつ死んだか』〔聖公会出版〕p187188)。この観念は旧約聖書では後期の例外的箇所(イザヤ26:19、ダニエル12:2~3)しか見られないといわれている(同、p185186)。大林浩著『死と永遠の生命 そのキリスト教的理解と歴史的背景』(ヨルダン社)では、マカバイ第二書に見られる「報賞的復活論」(八木誠一著『キリスト教の誕生』p122参照)とダニエル書にみられる「万人復活論」との二つの型が指摘され、「この二つの異なった復活論は、おそらく並行してユダヤ人たちの間に広く信じられていたであろうし、初代キリスト者たちも、どちらか一方だけに固執していたわけではない」(p226)と述べられている。ただし、福音書やパウロに於ける復活思想は多分に前者の要素があり、ヨハネ黙示録は明らかに後者の流れを受けているという。佐藤氏は前掲書で「当時のユダヤ教の宗教観念は非常に複雑な様相を呈していますが、その一端が次の非黙示思想的な死後の生命意識に暗示されて」いると述べ、「神のもとでなお生きる者たち」という観念と、黙示思想的「復活」とは違う意味の民間伝承的性格の霊的な「生きかえり」観念とを指摘している(同、p190191)。ちなみに保守派の富山鹿島町教会小堀牧師の「復活であり命である主イエス」という説教では、ファリサイ派が信じていた「復活」は「終わりの日に義人が復活するということ」だったと述べ、遠い将来である終末のことであったとしている。いずれにせよ、「黙示文学的復活待望に生きてきた人々にとってすら、それは全く突然、思いがけないような仕方で起こったという異常性あり、もはや弟子たちの復活願望が投影されて作り出された創作物語ではない」(~芳賀力「救済の物語」)という護教論的主張は批判されなければならないし、幻視説を否定し去る根拠にはならない。芳賀は弟子たちの復活顕現体験について「ヌミノーゼ反応」と見なすことを否定しているが、これは八木誠一氏の『新約思想の成立』(新教出版社)も念頭にあってのことだろう。この書では「プロ・ヌーメンとアンティ・ヌーメンとが、聖者伝説および奇蹟物語を構成する感情的な要因として把えられている。イエスについての聖者伝説は、自分と異質のイエスに接した人間たちのプロ・ヌーメン感情の作りあげたものであり、奇蹟物語は、イエスへのプロ・ヌーメン感情をもった人々が、イエスは異常な多くの業をなすことができたという尊敬を表白したものとされている」(~野呂芳男氏の書評)からである。そもそもイエスという人物が神格化されたという出来事(相対の絶対化)自体、「ヌミノーゼ心理」によって説明されるのだ。八木誠一氏は「ヌミノーゼ心理の本質」として「世の中の相対的なものが神格化され絶対化され、人はこれらに信心を寄せ帰依してしまう。すなわち偶像崇拝が起こる。そして偶像との間には、倒錯した宗教的関係が生起するのである。」(『キリスト教は信じうるか』〔講談社現代新書〕p41)と指摘し、「キリスト教においても、非ヌミノーゼ化が徹底して起こらなくてはならない。すなわちイエスはただの人となり、聖書は一個の文献とならなくてはならない。つまり、それだけ事柄の重心が、イエスや聖書から、イエスと聖書が証しする真理そのものの方へ移らなくてはならないのだ。」(同)と主張している。言い換えれば、聖書的キリスト教は、重心が「キリスト中心主義的聖書解釈」から「キリストが啓示した父なる神との関係」すなわち「神の霊」に導かれる体験へと移らなくてはならないのだ。この場合の「霊」とは<人格や存在というよりは、「はたらき」>(『イエスの宗教』〔岩波書店〕p3)である。つまり八木氏の言う「イエスと聖書が証しする真理」とは私にとっては現実生活の中で経験されるイエスの父の御霊(の働き)であり、それは人に活力を与え、自殺したいほどの虚無・絶望から「起こす、引き上げる」業である。それが自立への福音にもなる。しかし伝統的キリスト教では八木氏の言う「重心」の置き処が逆になっている。その典型が、パウロが最初のエルサレム訪問の時に伝えられたと思われる、キリスト教最古のキリスト宣教(『キリスト教の誕生』p5254参照)である(以下「宣教」と記す)。これがキリスト教最古の信仰告白伝承(以下「告白」と記す)からどう変わっているかだ。同じく信仰告白に違いはないが、「告白」では「神が彼(イエス)を起こした」(ホ・セオス アウトン エーゲイレン)〔「エーゲイレン」は「エゲイロー」(起こす、立たせる、起き上らせる、立ち上らせる)の3人称単数アオリスト〕であり、あくまでも「神」が主体であったのに(ローマ10:9)、「宣教」では復活の主体が「キリスト」に変わっている(Ⅰコリ15:4)〔「エゲーゲルタイ」は「エゲイロー」の3人称単数完了形の受動態で「起こされた」と訳されるが、意味は能動(荒井献著『イエス・キリスト(上)』p4546参照〕。これは、「告白」では「キリスト告白ではなく神告白であり、イエスの神性化は行なわれていない」のに「初代のキリスト教では一般にキリスト信仰が次第に中心を占める傾向」(佐竹明著『使徒パウロ』)があるということを示している。まさにこれが「イエス」前出で「神」後退の逆転信仰の成立なのだ。これを元に戻さなければならない。イエスの生涯については常に「神」が主語で語られなければならない。イエスの父なる「神」は人を「起こす」主体としての「神」であり、それは「死」からに限らず、人生の中でも絶望的状態から「起こす」のである。そのことをイエスの命令法・自動詞「起きよ、立て(エゲイレ)」〔マタイ9:5、マルコ2:11、ヨハネ14:31など〕が「自立の福音」として示している。
遠藤周作氏は『イエスの生涯』の中で、「なぜ弟子たちは荒唐無稽な、当時の人々も嘲笑した復活を事実だと主張しつづけたのか。」と述べ、『キリストの誕生』の第二章では、<復活や再臨の観念は当時のユダヤ人には必ずしも一般的なものではない。時には死んだ者の力が他人に働くことを復活と考える場合もあったことは、(中略)マルコ伝六章十四節の言葉でも推測できるが、死者その人がそのまま生きかえるという考えはそれほど拡がってもおらず、強くもなかったのである。だが、意識の表面にはそうした考えが昇らなかったユダヤ人の心にも死と再生の観念は奥深くひそんでいたように思われる。なぜなら、この死と再生の観念はユダヤ教をとりまく東方宗教のなかで随所に見られるものだからである。>と述べている。
たしかにサドカイ派のように復活を認めない人々はいた(マルコ12:18、使徒23:8参照。彼らは「復活」だけではなく「天使」や「霊」もないと言っていた〔佐藤研著『イエスの父はいつ死んだか -講演・論文集-』(聖公会出版)p193参照〕)。しかし、「当時のユダヤ人社会においては、大半の人々が復活の可能性を疑っていなかったであろうし、ラビたちは、復活信仰をユダヤ教の必要不可欠の要素として教えていた」という説もある(大林浩著『死と永遠の生命 そのキリスト教的理解と歴史的背景』〔ヨルダン社〕p228)。また繰り返しになるが前述のとおり、佐藤研氏は、<イエスの同時代(紀元前一世紀~紀元後一世紀)になりますと、黙示思想の潮流で担われてきた諸観念がかなり一般的に民衆に浸透し、「復活」のそれもその一環として人々に多かれ少なかれ周知の観念と化したと思われるのです。(中略)復活という観念が黙示思想によって中心的に担われ、そしてそれが相当程度、民のあいだで一般化していったと考えられるのです。>(佐藤研著前掲書p187188)と述べている(<黙示思想的な「復活」とは違う意味>の「イエスはバプテスマのヨハネの生きかえりだ」という乗り移りの観念もあった〔同、p190参照〕)。そして、<「復活がない」とか「復活というのは変なものだ」という観念は、とくにギリシャ思想が支配的な世界には当然あったはずです。霊魂と肉体とを分離するのに慣れているギリシャ式思考法では、人間が総体的に「甦る」というのは異様な観念なのです。使徒言行録の中でも、パウロの演説を聞いて、「復活なんておかしい」と笑った人々の話があります(一七32)。>(同、p198)と語られている。またリューデマンも、<当時の人々が復活を「文字どおりに」信じたことは確かである。そのことは、相対化し得ないし、してもならない。>(橋本滋男訳『イエスの復活 実際に何が起ったのか』〔日基教団出版〕p199)と指摘している。ついでに引用すれば、「もしイエスがそのように復活しなかったのなら、キリスト教にとっては重大な結果となる。しかし、それは直ちにキリスト教の終わりを意味するのではない。初期のキリスト教は、イエスの遺体が再び生き返ったという信仰とかつて結びついていたという事実から、われわれもまたまともなキリスト教徒であろうとすれば、今日、イエスの遺体の生き返りを信じなければならないと無条件に結論することはできない。それは史的事実ではなく、信仰的判断である。われわれはそれを無批判的に信じることはできないし、そのことを正直に告白しなければならない。」とも述べている(前掲書p199)。
また、遠藤氏は『私にとって神とは』(光文社.1983年)では「復活」について次のように述べている。「復活には二つの意味があります。イエスの死後、使徒たちの心の中で、イエスはキリスト(救い主)という形で生き始めました。イエスの本質的なものがキリストで、その本質的なものが生き始めたということです。現実のイエスよりも真実のイエスとして生き始めたこと、これが復活の第一の意味です。それから、イエスが復活したということは、彼が大いなる生命の中に戻っていったことの確認です。滅びたわけではなくて、神という大きな生命の中で生前よりも息づいて、後の世まで生きていく。これを復活と言ったのだと思います。(中略)メシヤというのは、ユダヤ民族を救ってくれる人です。精神的にではなくて、実際に解放してくれる人です。弟子たちでさえ、イエスの死まで、 イエスの信念を理解していなかった。聖書を読むとそれがよくわかります。そういう中で、ローマ占領軍と結託しているサドカイ派がイエスを政治的反乱者として殺してしまう。殺された後、あれほど忠実にみえた弟子たちがみんな逃げてしまった。彼らはそれを恥ずかしく思っていました。そしてイエスが死の直前自分たちを呪う言葉を言うのではないかと考えました。またなんであんな惨めな殺され方をしたのか、神も仏もないではないか、と深い疑惑にもかられていたのです。それなのにイエスは臨終に、愛の言葉と神への絶対信頼の言葉を叫びました。それを知った時、弟子たちは愕然としました。おれたちは彼の本当の姿を間違ってとらえていたのだ、とこの時知りました。(中略)こうしてその弟子たちが集まって原始キリスト教団をつくりました。イエスの理念はこのように弟子たちの中に残って、イエスがそれによって再び生き始めた、これが復活の一つの形です。当時の考えとして、復活というのは、神の永遠の生命の中へ戻るということと、その理念がだれかに受け継がれることを復活と言ったんです。たとえばイエスに対して、あなたは洗者ヨハネが復活したものですねということを、弟子たちが言っています。洗者ヨハネの理念がイエスの中に体得されつつそれが生きているから復活と言っているのです。当時の象徴的な言い方として、復活と言っているのであって、復活は蘇生とは違います。蘇生は死んでいた肉体が息を吹き返すんですが、それは復活じゃないんです。>(p76~82)「キリスト」がイエスの「本質的なもの」ということやそれが弟子たちの中で生き始めたとか言うのは八木誠一氏のイエス論のパクリではないかと疑ってしまう。彼の「神は対象ではなく働き」という考え方も、神を「場」と言い表していることも含めて(p30~31他)八木氏の場所論からの影響がみられるので、イエスについても同様ではないかと疑うのはおかしなことではない。上記引用文中で遠藤氏が「イエスに対して、あなたは洗者ヨハネが復活したものですねということ」と書いているのは、前述の佐藤研氏が指摘している<黙示思想的な「復活」とは違う意味>の「イエスはバプテスマのヨハネの生きかえりだ」という乗り移りの観念であり、遠藤氏はこの「乗り移り」も「復活」に含めて考えているのだ。ついでに遠藤氏は「メシヤ」と「キリスト」とを意味の上で区別している。前者はユダヤ人を救う地上的な救済者であり、後者は魂の救済者・救世主とのこと(p83)。「両方とも同じような意味でユダヤ人に使われていた時もあります。それを全く打ち破って、キリストというのは魂の救世主としてしまったのがキリスト教であることは確かなのです。」という(p84)。
なお、パウロが「五百人以上の兄弟たちに一度に現れた」(Ⅰコリ15:6)などは特に文字通り、信用するわけにはいかないし、その必要もない。荒井献氏は第一コリント15章3節以下の「信仰告白定型」(ケリュグマ)と呼ばれる伝承については、「恐らく伝承の箇所は5節までと考えます。こののち、五百人以上の兄弟たちや、イエスの弟ヤコブに、次には、すべての使徒たちに現れたのち、最後にはパウロにも現れたという、6節以下の復活のイエス顕現の記事は、たとえその一部が伝承に属していたとしても、パウロによりつけ加えられたと思われますが、少なくとも5節までは確実に古い伝承に遡ります。」(荒井献著『イエスと出会う』〔岩波書店〕p28)と述べており、青野太潮氏も岩波版新約聖書の当該個所の注で、「3-5節と7節に二つの伝承が引用されているとするのが、最も一般的であろう。」と述べている。やはり6節の「五百人以上・・・一度に・・・」はパウロによるフィクションのようだ。
荒井氏はマルコ16:1~8について、<この復活物語は何を中核として成立していたのかということを、まず問う必要があると思います。それは「イエスはよみがえって、ここにはおられない」の中の「イエスはよみがえった」という一句です。これは言葉どおりには「イエスは起こされた」となっています。「起こされた」というのには、勿論「神によって」ということが言外に含まれていると思いますが、この「イエスは起こされた」「イエスはよみがえらされた」という句は、私の見解では、原始キリスト教の歴史の中で最も古い、イエスをキリストとして告白する信仰告白伝承に遡ります。(中略)マルコ一六章1-8節は、この最古の信仰告白伝承を中核として、これを顕現奇跡物語の様式で語り直したものだと私は考えています。としますと、私たちには当然、それでは何故歴史のイエスが復活のキリストとして宣教の対象にされたのかという、古くて新しい問いが出てまいります。遠藤周作の『キリストの誕生』という作品もこの問いにこたえたものだと作者は断って書いています。>(同、p2324)と述べている。
遠藤周作はその『キリストの誕生』の中で次のように述べている。
<すぐれた預言者、すぐれた教師とはちがった別のXがこのイエスにあり、そのXが彼の死後、弟子や民衆の心に彼を人間を超えた存在として考えさせる何かがあったのでなければ、イエスは彼等によってその死後、神格化されなかっただろう。同時にまた我々は次のことも認識しておかねばならぬ。イエスに関するさまざまの伝説や神話――その多くを我々は福音書のなかに読むことができるが――は彼の死後、わずか十年たらずのうちに既に出来たものである。いかなる無神論者、反キリスト教者もイエスの復活物語、イエスの奇蹟物語が長い歳月を経て作られたのではなく、彼の死後、ほとんどただちに人々の間に語られたという事実を否定することはできない。それは使徒行伝やポーロの書簡の年代を調べれば明らかである。つまりイエスを現実に見知っていた者たちがあまりに多く生き残っていた時、既にイエスを信仰の対象とするこれらの神話が信じられていたのだ。神話の成立過程を考える時、我々はこの事実をまことにふしぎなものと思わざるをえない。なぜなら神話とは普通、このように短時間の上にできはしないからだ。それは年月をかけて発酵する酒のように長い長い歳月を経て出来あがるからだ。なぜ、イエスの場合だけ、こうなったのか。なぜ、イエスの場合だけ、その神話は他の教祖にまつわる神話伝説とちがい、その死後、ただちに流布されたのか。私にはもちろん、それに答える力などない。しかし生前のイエスに、もし、そのような神話を生みださせるXがなければ、この出来事はありえなかったであろう。そしてそのXはやはり福音書だけでは我々はすべてを知ることはできぬだろう。なぜなら言語は聖なるものを完全に表現できぬからである。それだけではない。我々は当時のユダヤという風土ではある人間を神格化することがいかに困難だったかという状況も第三に認識しておかねばならない。私が幾度もふれたようにユダヤ人はそのほとんどがユダヤ教の信徒であり、その唯一神ヤウエを信仰した。砂漠的宗教であるこのユダヤ教は汎神的なギリシャや日本とちがい、多くの神々を礼拝することを絶対に許さなかった。神はモーゼを通して、自分以外のいかなるものをも信仰することをきびしく禁じたからである。ただ一つの神以外のいかなるものをも信仰することをきびしく禁じたこのユダヤで、一人の男が神格化されることはほとんど不可能に近い。その上、イエスの弟子たちもまた、私がくりかえしたようにユダヤ教の枠内でイエスを考え、ユダヤ教の思考のなかで自分たちの謎を解こうとしている。彼等もまた唯一神ヤウエの信仰の持主だったのである。こうした弟子たちにたとえイエスにたいする思慕がどのように深いものであれ、イエスを信仰の対象とまで高めるのはユダヤ教徒として大きな心理的抵抗があったにちがいないのだ。にもかかわらず、その心理的な抵抗は突破された。イエスは「人の子」「神の子」となり尊敬だけではなく信仰の対象として高められるに至った。それは唯一神を信仰してきたユダヤ人のなかではじめての出来事である。あのモーゼもエリヤもダビデも決してこのように神格化されなかった。なぜか。私にはわからない。わからないが、しかしもしイエスにそれだけのXがなかったならば、いかに弟子たちといえども、このような瀆聖行為にひとしい冒険に踏み切れなかったであろう。イエスの死後、彼がキリストに高められるまでの短い歴史を調べたあと、私たちがぶつかるのは結局、この「なぜか」であり、そしてイエスの持つXである。この「なぜか」を素直に、謙虚に、考える時、私たちは次のような結論に達せざるをえない。たしかにイエスをキリストまで高めたのは弟子たちと原始キリスト教団との信仰である。彼等の意志によってイエスは人間を超えた存在に神格化されていった。イエスは「人の子」と言われ「神の子」となり、救い主と呼ばれ、そしてキリストになった。だがイエスを神の子にしたのは弟子たちだけではなかった。イエスにも、それに相応しいXがあったからこそ、彼は他の預言者たちと違った次元におかれたのである。人間が彼を聖なるものとしただけでなく、彼にも聖なるものとされるに価いした何かがあったのだ。けれども原始キリスト教団史のもうひとつの問題はこうして弟子や信徒たちの信仰の対象になったキリストが必ずしも彼等の願い、要望に応えなかった点にある。弟子たちは突きつけられた「神の沈黙」という謎を解くためイエスの再臨を考えるに至った。(中略)だがそのキリストはあらわれなかった。(中略)「キリストの不再臨」と共に、「神の沈黙」という宿題も未解決のまま原始キリスト教団に残された。(中略)試練のなかでも彼等はイエスを忘れることができなかった。キリストが彼等の要望に応えなかったのに、彼等はキリストをなお信じ続けている。イエスのことを考えずに彼等は生きていけなくなったいる。イエスは彼等を捕えて離そうとはしない。その意味でもイエスは既に復活し、再臨していた。一人、一人の人生の底に、一人、一人の心の核にイエスは再臨していた。それを原始キリスト教団は気づかなかったにすぎぬ。やがて彼等はその事実を知るようになるが、それは長い歳月がたってからであろう。>(~「第十三章 イエスのふしぎさ、ふしぎなイエス」 ※青字に傍点あり。「教師」には「ラビ」とルビあり。「神」には「ヤウエ」とルビあり。「救い主」には「メシヤ」とルビあり、「核」には「しん」とルビあり)。
「神格化」と言えば佐藤研氏も、<彼らによるイエスの「キリスト論化」>すなわち<イエスに明確に「メシア」という称号を与え、この概念のもとで彼への信仰を再構築しながら、彼を文字どおり神格化していくことになったのです>(前掲書p234)と述べている。しかし、「キリスト」はユダヤ教で「神の子」や「主」と結び付けられ「救世主の尊称として用いられていた」が、「神の子」と「主」はヘレニズム世界で「神的英雄や神話的存在に対する尊称として広く用いられていた」というので(荒井献著『イエス・キリスト(上)』〔講談社学術文庫〕p3031参照)、エルサレム教会の「キリスト論化」は遠藤氏が唯一神信仰との関係で「ほとんど不可能に近い」と言う程の「神格化」ではなかったと言えるだろう。少なくとも「神」化ではなく、エルサレム教会の段階では「神格化」と言っても、あくまでも「唯一神(YHWH)信仰」と矛盾しない程度のことだったのだ。マルティン・ヴェルナーによれば、「人の子」は勿論神ではなく、人間以上の天使的存在であって、原始キリスト教会は、キリストを神とは絶対に告白しなかったと云う。そもそも「イエスが復活したからといって、それが即、彼は神である、と肯定することにはならない」(フレデリック・ルノワール著、谷口きみ子訳『イエスはいかにして神となったか』〔春秋社〕p276)のだ。なぜなら復活の主体(イエスを起こした者)は「神」であり(ロマ10:9、マルコ16:6参照)、イエス自身が神性者ではなく「ただの人」であろうと、彼を「起こす」ことは「神」であれば可能であろうからだ。従って「復活(信仰)」はイエスが神であることの根拠にはならない!ユニテリアンがイエスの「復活」を信じても必ずしも矛盾しない。そして私自身、ある意味においてイエスの「復活」を信じる。

ちなみに佐藤氏は、「大部分の新約研究者とともに」イエスは自分をメシアだとは公言しなかったし何ものかの定義づけもしなかった、そしてメシア意識についても「それからかなり逸脱ないし抜きん出ていたのではないか」と述べている(前掲書p234)。
いずれにせよ、遠藤氏の言う、イエスが持っていた「X」・・・これは荒井氏が、法によって交わることを禁じられていた人、不可触民的人々の中に飛び込んだ振舞いが奇跡的行為だとか、そのような振舞いをするイエスに神を見たのだの自分にとって「神の子」だのと述べているような(荒井氏前掲書p5759)、人徳的・英雄的な意味にとどまるなら、そういうイエス信仰は私は必要としない。治癒行為では呪術も用いたそうだが、いかに古代人といえども胡散臭い。そんなイエスには全く関心がない。まだ、遠藤氏の「無力で愛だけに生きた男」としてのイエス観の方がよい。しかしそんな人間はいない。遠藤氏のイエス観もかなりリアリティーに欠ける。イエスはあくまでも我らと同じ人間であり煩悩具足の凡夫であって超人ではない。イエスの特別視を程々にしないと「アッバ」なる「神」が後退してしまう。イエスの特別さは「父なる神」の選びの特別さであり、その「霊」をイエスの身体に充満せしめた恩寵の特別さにほかならない。自力の視点から他力の視点に変えてイエスを見なければならない。イエスは神と人との媒介者である以上、信仰者としては模範的でなければならないが、倫理道徳の理想的人格者という古典的イエス像は自力信心の所産である。八木誠一氏の覚者イエス像はこれを突破しているとは言え、やはりインテリの描くイエス像には煩悩具足の凡夫とは違った風情があり、今一つ身近には感じられない。さりとて関田寛雄氏の「寅さん的イエス像」などは霊性もリアリティーも無く、テキヤのイエスなどもってのほかだ。イメージ的にも渥美清のような顔をしたイエスなど誰が救い主と仰ぎ讃美するだろうか。同じ「きよし」なら私のイエスのイメージは放浪の画伯・山下清の方がよい。 
遠藤氏は『イエスの生涯』の先ほどの引用文に続いて、<彼等を神秘的幻覚者だとか、集団的催眠にかかったのだときめつけるのはやさしいが、しかしそれを証拠だてるものも何ひとつない。謎はずっしりと重く我々の心にのしかかるのである。(中略)空虚の墓の事件が仮に創作だとしても、我々はさきほど言及した謎を考える時、この事件と同程度のショックが別の形で弟子たちに加えられたことを認めざるをえない。少くともそれによって弟子たちの心に「無力なるイエス」が「力あるイエス」に変るような出来事があったと推理せざるをえない。そしてその出来事ゆえにイエスの復活が事実として弟子たちに摑めたと思わざるをえない。>と述べている。
青野太潮氏は、<パウロが「見た」と言っているとしても、また「復活者」イエスが人によって「見られた」と言われているとしても、それをただちに実体的な復活と結びつける必要はないということになる。多くの研究者は、この「見る」ことを「幻視体験」として理解しようとする。「幻」を見るということは、それを見たと主張する人にとっては主観的な事実であって、それまでも否定する必要はない。しかし、それはやはりあくまでも主観的、つまりその人の心の内側の体験と結びついたものとしか言えないものである。〔中略〕新約聖書のなかには、「復活」そのものについての記述は全くない。どういう意味かというと、「復活」とは死んだ人が生き返ることを意味しているが、新約聖書のどこにも、イエスが死んで墓のなかに納められたのちに、むっくりと起き上がり、棺を破って外に出ていった、というような描写はない、ということである。このような描写は時代が下って、聖書の「外典偽典」のひとつである「ペテロ福音書」に見いだされるのみである。つまり、イエスを「復活者」だと理解した人々は、死者のよみがえりということを説く当時の黙示文学的な表象に助けられて、彼らの体験を「復活したイエス」との出会いの体験だと解釈をした、ということなのである。それゆえにここでも、それはやはり主観的な、心の内側における解釈なのだ、ということが言われなくてはならない。>(『どう読むか、聖書』〔朝日選書〕p114116
<ブルトマンの弟子たちの思索に主導された段階が過ぎ去っていった一九八〇年代から、しばしば「第三の探究」(the third quest)と呼ばれる現代に移行する。この研究運動の主たる担い手は、もはやドイツの学者ではなく、北アメリカの研究者である。〔中略〕これまで私たちはカルケドン信条の両性規定になぞらえて事柄を見てきたが、ここに至って、イエスはいわば一元的に「人間」になりきったと言うべきであろう。つまり、「真に人間」であることと「真に神」であることのどちらが主導であるかとか、双方の関わりがどうであるか等の問いは、この段階の研究者の視野には入らないのである。イエスに対する研究は、歴史上の一人間現象を扱うそれと全く違いがなくなった。〔中略〕ここに至ると、ナザレのイエスは総じて、これまでのような「神性」や、その疑似形態としての「理想的人間」の姿を喪失し、欠点も弱さも持った、しかしおそらく強度に熱狂的・パトス的な一介の「人間」として提示されていくであろう。私見によれば、この「第三の探究」の先鋭部分がやがてイエスの「人間化」を徹底させ、果ては一種の「イエス批判」にまで至るのは時間の問題でしかない。たとえば、カルケドン信条的に見れば、イエスはその「神性」のあまり、一切の「罪」を知らない存在とされてきた。しかし、イエスを真に人間として扱えば、イエスの「罪」の意識やその構造も問われるであろう。また、彼の「神の王国」のファンタジー性の批判的考察――「神の王国」は彼が考えたようには到来せず、彼は時間の把握を誤った――も登場するであろう。しかし他方――彼が何を実際に語ったか、あるいは自分を何者と見なしたかは場合によっては不明瞭であり、研究者の恣意的判断が混入せざるを得ないが――彼が当時の社会の中で没落者・被差別者たちと親しく交わり、その彼らの決定的解放をおそらく「神の王国」のヴィジョンの中に見ていた点、またそこから派生する権力批判行動のゆえに、最後は十字架という処刑方法で殺害された点は、これまで以上に鮮明に描出されるであろう。要するに、一貫してイエスの「人間」性の扱いをめぐって進展してきた聖書学のイエス研究は、その固有の「伝統の継承と発展」の結果、カルケドン信条の地平をとうとう突破する地点に至るべくして至ったと言える。そこから出てくるイエス像を、「信仰」には役立たないとして無視することは不可能ではない。しかし無視できないとしたら、これまでのキリスト教の神学的思考範疇は大幅に再定義されざるを得ないであろう。少なくとも、イエスを全能の神の「実体」として把握し、そのキリスト論への「信仰」を救いの核心にしてきた従来のキリスト教は根本的に修正されざるを得ない。ニカイア信条的・カルケドン信条的神学の解体である。そしてあらためて、歴史のイエスが拠って立ち、それゆえに死んでいったところのリアリティをいかに捉えるか――すなわち新しい「神論」――が中核的課題となるであろう。>(佐藤研著『禅キリスト教の誕生』〔岩波書店〕p5759
<『歴史的批判的』イエス研究の大前提は、イエスを人間として見る、という人間学的原則であった。しかしながら、キリスト教信仰の伝統の中では、イエスは「神の子」であり、三位一体神の一位を担う存在である。ということは、聖書学的イエス研究は原理的に、この伝統的キリスト教教義からの本質的な乖離を内包しつつ遂行されてきたのである。この事態はしかし、早くから看取されていたわけではない。むしろ研究者たちは、イエスを人間として扱いながらも、己のイエス像を徹底的に理想化することで、無意識的にではあれ、かつての「神」としてのイエスの後光を補填してきたのである。しかしながら、過去二世紀ほどの人間学的知見からすれば、「人間」であるということは、初めから終わりまで完璧に完成した人格などではあり得ないということと同義である。(中略)しかるに、聖書学的イエス研究者たちは、長い間イエス自身をそのようには見てこなかった。彼らのイエスは、ほぼ例外なく、批判の対象になるような矛盾を露呈していない。矛盾するような事態があれば、それは「後代の付加」とか「二次的創作」などと判断されて「削除」され、それによってイエス自身の理想像的一貫性はあくまでも保持されてきたのである。(中略)しかし現在、イエス研究が「第三の探究」【イエス研究の当初からいわゆる「自由主義的神学」のイエス像の時代(二〇世紀初頭)までを「第一の探究」とし、それ以後、様式史学派の登場からその弟子筋にあたる学者たちの探究(主に一九六〇年代まで)を「第二の探究」と呼び、それ以後、八〇年代以降の、大幅に北アメリカの学者たちの参加を見、また多方面に学際的になり、非神学的発想に開かれた探究を「第三の探究」と呼ぶのが一般的になっている。〔後略〕】の時代に入り、神学的前提から発想する習癖がかき消されていくにつれ、ようやくイエスを真に「人間」としてとらえていく方向性が可能になったように思われる。そうして現れる作業の一端は、「イエス批判」をすら辞さないキリスト教批判になっていくと思われる。>(佐藤研著『最後のイエス』〔ぷねうま舎〕p126127)青字は傍点付き。【 】内は注。
イエスが伝統的教義から解放されて史的イエスとして捉えられても、今度は理想化されて同様に特別な存在とされて批判の対象にはされない・・・それが私の言う「イエス止まり」の要因である。もちろん、信条的キリスト論が破られて史的イエスが究明されてゆくことはよいが、<一種の「イエス批判」にまで至る>としながらも相変わらず「当時の社会の中で没落者・被差別者たちと親しく交わり」云々といった革新的活動家のようなイエス像に囚われていたのでは従来と同じ「(史的)イエス止まり」に留まるだろう。それでは私の関心の的とは違ってしまう。「歴史のイエスが拠って立ち、それゆえに死んでいったところのリアリティ」というものを、佐藤氏などがどのように捉えるかが問題だ。私にとってその「リアリティ」とはあくまでもイエスが「アッバ」と呼んで「(心の)貧しき者たち」の一人として弟子たちと共に仰ぎ見た創造主なる「神」との関係・交わり以外の何ものでもない。しかしイエスはその「神」との関係を現前化させる活動(=「神の支配」の福音宣教)が当時の律法主義ユダヤ教が支配的な社会では命がけの行動であることを覚悟していたと思う。そして生への欲求との間で苦悩しながら孤独な道を歩き続けたのだろう。そのイエスの道を弟子たちも我々も生き抜くことは出来ない。そこがイエスの超人的意志が示される点だ。しかしそのイエスとの出会いなしには真の「神」に向かい合うことは出来ない。特殊(の求道)を経ずして普遍(的救済)に至ることはない。その点で「宗教(的)多元論」(=「宗教複数主義」)につながるようなイエス論は支持し得ない。
<たとえば、「私を通らずして父のもとに至る者はいない」(ヨハネ一四6)という排他的言表が、イエスの主張であるよりは後代のキリスト教徒の自己主張の投影であると認識され、イエスはむしろ、究極のリアリティを自ら受けた一介の人間として捉えられる。こうした思考は、さきに述べたような現代聖書学のもたらすイエス像を最も有効に応用するであろう。>(前掲書p59
「後代のキリスト教徒の自己主張の投影」ではあっても、その文言が示す事柄はキリスト教徒の「自己」を超える真理である。イエスが受けた「究極のリアリティ」こそが「アッバ」なる「神=創造主=YHWH」との原関係なのである。その関係の現実以外のところに「神の国」も「永遠の命」もあり得ない。イエスとの出会いを通して「父(なる「神」)」との関係に気づくことが「悔い改めて福音を信ずる」第一歩となる。「新約聖書学は、歴史上のイエスが受肉した神であるとは断言しなかったこと」(同、p60)は評価されるべきことだが、反対にイエス・キリストを「神」であると宣教してきたキリスト教と同じく「イエス・キリスト」で止まっていたことが問題なのだ。「究極のリアリティ」を相対化したり普遍化するのでは<新しい「神論」>などと言っても我々大衆生活者の現実から離れたグノーシス主義の「真理」にでもなるのではなかろうか?聖書的救済は、あくまでも実存的真実としてイエスの媒介に自己限定されなければならない。その「限定」の「特殊」性を生きることによって逆説的に「自由」なる「普遍」性が開示されるのだ。
ということで、私にとって究極的信仰対象はイエス自身ではなく、あくまでも彼が信仰した「ABBA」なる「神」なのだ!「イエスの」が付く、その限定性が「自分の十字架」を負う中の一つの意味である。

神の霊が私を造り、全能者の息が私を生かす。」(ヨブ記33:4 並木浩一訳)

 

「あなたが顔を隠すと彼らはおびえ、あなたが彼らの霊を集めると彼らは息絶え、彼らの塵に帰る。あなたがあなたの霊を送ると彼らは創られ、あなたは土地の表を新しくする。」(詩篇104:29~30 松田伊作訳)

 

「誇れ、かれの聖なる名を、喜べ、ヤハウェを尋ねる者たちの心は。求めよ、ヤハウェとその力とを、尋ねよ、かれの顔を常に。」(同上、105:3~4 同訳)

 

<われらにではなく、ヤハウェよ、われらにではなく、あなたの名にこそ、栄光を与えて下さい、あなたの恵み〔と〕真実のゆえに。なにゆえ諸国民は言うのか、「彼らの神は、いったいどこだ」と。われらの神は天に〔いまし〕、おのが悦ぶことをみな行なう。>(同上、115:1~3 同訳)

 

ヤハウェを畏れることは、いのちの泉、死の罠から免れさせる。」(箴言14:27 勝村弘也訳)

 

「友愛と真実によって、咎は覆われる。ヤハウェを畏れることによって、〔ひとは〕悪から離れる。」(同上、16:6 同訳)

 

「人の心は、その道を考え出すが、その歩みを導くのは、ヤハウェである。」(同上、16:9 同訳)

 

人の息は、ヤハウェの灯火。腹の中の隅々まで調べあげる。」(同上、20:27 同訳)

 

<私を貧乏にも富裕にもしないで下さい。私に適する量のパンを味わわせて下さい。私が飽き足りて、〔あなたを〕否認し、「ヤハウェとは誰か」と言うことのないように。また、私が貧乏になって、盗みを働き、私の神の名を粗末に扱うことのないように。>(同上、30:8~9 同訳)

 

「神の前では、言葉を出そうとして、慌てて口を開いたり、心を焦らせたりするな。なぜなら、神は天におり、あなたは地上にいるのだから。」(コーヘレト書5:1 月本昭男訳 )

 

「幸いの日には幸いであれ。災いの日には〔災いを〕見つめよ。人間が後のことを何一つ見きわめ〔られ〕ないようにと、神はあれもこれも造り出したのだ。」(同上、7:14 同訳)

 

「そして、塵はもと通りに地に戻り、霊はこれを与えた神に戻る。」(同上、12:7 同訳)

 

神ヤハウェが、こう言われる、すなわち、天を創造し、これを張り巡らし、地とその作物を推し広げ、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を授ける方が、「わたし、ヤハウェは、義をもってあなたを呼び、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約と、また国々の光とする。>(イザヤ書 42:5~6 関根清三訳)

 

<あなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――、また、わたしが選んだわが僕だ。〔選んだのは、〕あなたたちが知って、わたしを信じ、わたしがその者だと、悟るためである。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にも存在しない。わたし、このわたしこそ、ヤハウェであって、わたしの他に救い主はいない。このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたたちのうちに、他には〔神は〕いなかった。そしてあなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――。わたしが神だ。これから後もわたしがそれだ。わたしの手から取り返せる者はなく、わたしが事を行なえば、誰がそれをもとに返すことができようか」。>(同上、43:10~12 同訳)

 

「まことにわたしは干からびた地に水を、乾いた地に流れを、注ぐ。わが霊をあなたの子孫に、わが祝福をあなたの裔に、注ぐ。こうして彼らは、青草の中にあって、水のほとりの柳のように、芽生える。」(同上、44:3~4 同訳)

 

<ヤハウェが、こう言われる、イスラエルの王、これの贖い主、万軍のヤハウェが、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしの他に神はいない。>(同上、44:6 同訳)

 

<わたしがヤハウェである。他にはいない。わたしの他に神はいない。わたしはあなたに力を帯びさせるが、あなたはわたしを知らない。これは、わたしの他には空であると、日の上る方からも、暮れる方からも、人々が知るためだ。わたしがヤハウェである。他にはいない。〔わたしは〕光を造り、闇を創造する者、平安を作り、災いを創造する者。わたしはヤハウェ、これら総てを作る者」。>(同上、45:5~7 同訳)

 

ヤハウェは、胎内にある時から私を召し、母の腹にいる時から私の名を呼ばれた。」(同上、49:1b)

 

<彼は私に言った、「人の子よ、あなたの足で立て。わたしはあなたの語ろう」。彼が私に語ったとき、霊が私の中に入り、私をわが足で立たせた。私は私に語りかける方〔の声〕を聞いた。>(エゼキエル書2:1~2 月本昭男訳)

 

「こうして、わたしがお前たちの墓を開き、お前たちをわが民としてその墓から上らせるとき、お前たちは知るであろう、わたしがヤハウェである、と。わたしがお前たちの中にわが霊を与えるとき、お前たちは生き〔返〕るであろう。」(同上、37:13~14 同訳)