古代人イエスのABBA(5)

 

佐藤氏は、イエスの遺体を引き取ったアリマタヤ出身の最高法院議員ヨセフ(マタイ27:57、マルコ15:42、ルカ23:50、ヨハネ19:38)の息子の兄弟がイエスの遺体をヒンノムの谷底に捨てるという話を書いている。
<エレアザルは昨日、父より聞き捨てならぬ話を聞いた。父が、一昨日の午後、杭殺刑に処せられた反逆者の遺体を、家族の墓地に埋葬した、ということであった。杭殺柱に掛けられた者は神に呪われた者であり、埋葬なぞされず、ヒンノムの谷あたりに臨時に掘られた穴の中に投げ込まれ、始末されるのが常套であった。ところが父親は何を思ったか、この男が一週間前に城内に入って来た日から、神殿で語る彼の話に折に触れて耳を貸し、どこか「深く頷くもの」があったなどとうそぶいた。そのため、男が杭殺刑に処せられた後も、その死体がゴミのごとく処理されるのに忍びず、以前から裏金を渡していた総督のピラトゥスに乞うて死体をもらい受け、一族の新しい墓に納めたというのであった。(中略)親父は気が狂ったと断じたエレアザルは、安息日の開けた晩、意を決した。父親の寝込んだ夜半、末の弟に随行を命じ、アリマタヤの邸宅を驢馬を引いて抜け出して来たのである。やがて彼らは、聖都郊外の彼ら一族の墓地に近づいた。右手には、「髑髏の丘」と言われていた石切場が目に入った。その一角には、三本のT字型杭殺柱がまだ立てられたままになっていた。そのどれにも罪人の影はなかったが、まだ臭いが残るのであろうか、野犬が周りに数匹徘徊していた。「畜生、あいつか・・・・」。エレアザルは、かすかに吐き気を覚えた。彼は、一族の新しい墓の前に至ると、驢馬を降りた。この墓は、病床にある継母ヨハンナの先がもはや長くはないらしいので、最近彼自らが父の願いを受けて陣頭指揮しつつ岩にくり抜かせたものであった。「おい、石をのけるぞ」。そう弟に言うと、墓の前の大石に手を掛けた。ようやく石が動くと、彼は中へ入った。墓は暗かったものの、幸い月明かりで、ぼんやりと形の見当はついた。たしかに、大布にくるまれて死体らしきものが奥に置いてあった。二、三歩近づくと、異様な死臭が鼻を襲った。エレアザルは、口中に黒ずっぱい味がし、改めて嘔吐を覚えた。死体の足もとに辺りの布をつかみ、まるごと引きずって、外に引っ張り出した。「ヨハナン、その驢馬をこっちに引いてこい」。弟に命じて驢馬を引き寄せ、その上に二人で死体を引き上げた。死体は既に硬直していて、なかなか驢馬の上に安置されようとはしなかった。エレアザルはそれを縄で幾重にも驢馬の背にくくりつけた。その間も死臭がまとわりつくようだった。「兄さん、えらく臭いな!」、弟が訴えた。彼らは聖都の城壁づたいに南下し、やがて月明かりを背に、急いで都を離れて行った。エレアザルは思った・・・・こいつの死体が、再び発見されては面倒なことになる。完璧に処理するにしくはない・・・・。彼にはあてがあった。死体を乗せて、彼らはユダの荒野へと延びていく細道をたどって行った。岩と土砂しかない道を、どのくらい早足で進んだだろうか。周りはもうそろそろ明るくなっていた。やがて、ある崖の縁にたどり着いた。そこからはほぼ四五度の傾斜で、谷底へと三、四〇メートルほどは下っている。「おい、やるぞ」。エレアザルは弟に声をかけ、驢馬から死体を布にくるんだまま降ろして、崖口まで運んだ。「いいか、一、二とゆらして、三で投げるぞ」。兄弟は息を合わせて死体をゆらし、一挙にそれを崖淵から投げた。死体は大布にくるまれたまま、勢いよく転がり始めた。やがて布も吹き飛び、肉塊だけが加速度を増して落ちて行くのがわかった。途中、岩や灌木に当たって幾度か宙を舞いながら、やがて谷底に達して動かなくなった。(中略)その頃、聖都では、かつてのイエスの同志たちが恐慌のうちにあった。墓の場所を知っていた女たちが、イエスの遺体がなくなってしまったと言いだしたのである。同じ頃、「イエス様が自分に現れた」とわななきながら報ずる者が出てきた。やがて同志たちの幾人かは、「神がイエス様を起こしたのだ・・・・。だからお墓にはおられないのだ・・・・」と触れ回り始めた。背筋が凍るような畏れが、一同の中に伝播していった。>(「空の墓より」~『最後のイエス』〔ぷねうま舎〕p143~148)
なるほど、これだとエレアザルとヨハナンの兄弟は、いかにイエスの弟子たちのデタラメ復活宣伝に憤りを感じても自分たちの遺体処理を公表するわけにはいかなかっただろう。罰せられるからだ。父親のヨセフが兄弟の所業に気づいたとしても、やはり息子たちを守るため公表しなかったのだろう。もっともヨセフはイエスの弟子のようなものだから復活宣伝を否定する必要もなかっただろう。しかし、あくまでもこれは佐藤氏の創作であり、仮説の域を超え出ている。リアリティーはいまいちだ。
次に佐藤氏が「イースター事件」と呼ぶ事柄について見ておく。
<イエスの十字架死の後、まもなくして弟子たちの間に生じた事件を、今、仮に「イースター事件」と呼んでおく。この事件の直接の前提となる要素としては、第一に、イエスが十字架という、当時の殺害方法としても最も残忍で呪わしい方法によって国事犯として処刑されたことがある。生前のイエスは、社会の中の破滅した者、没落した者、差別された者への全的な肯定と連帯とによって、弟子たちにも巨大なインパクトをもたらしたに違いない。その愛の活動の果てが、神にすら呪われたと思える十字架死であった。この矛盾が弟子たちにどれほどの衝撃を与えたか、我々はただ想像するしかない。第二は、この十字架を前にして、特に男の直弟子たちが全員パニックを起こして逃散して果てた事態である(マコ一四50)。十字架の場面を見ていたのはただ女弟子たちだったというが、その彼女たちですら、「遠くから」見やっていたにとどまる(マコ一五40-41)。十字架を前にしての、この彼ら彼女らの自己喪失と絶望と悲痛が第二の要素である。第三は、イエスの埋葬後、一両日ほどするうちに、イエスの死体が墓場から忽然として消失してしまったというミステリー(マコ一六1-8、マタ二八11-15、ヨハ二〇13など参照)がある。この異様な謎は、弟子たちをいっそうの不安と不可解さの中に突き落としたであろう。これらの諸事実が、彼らのこれまでの自己と世界との――現代語を使えば――「パラダイム」を甚だしく混乱させ、ほとんど崩壊させたものと思われる。こうした事態のどん詰まりで、弟子たち――その典型はペトロとマグダラの女マリヤ――に一つの逆転が起こる。生の展望の死滅の果てで、彼らはある別次元の命とでも言うべきものに突然目を開かれたのである。この覚醒体験は、前記のような所与の諸要素の中では、死んだイエスが逆に絶対の生のリアリティとして「現れた」(Ⅰコリ一五5-6)【パウロの引用する古伝承(1-2節を見よ)。】と表象された。それは、いったんは神にすら呪われて滅びたように見えたイエスが、実は神に嘉されていたことの証と理解され、また彼らの破廉恥な裏切りに対する愛の赦しとして捉えられたのであろう。少なくとも、この「顕現」体験を、イエスが怒りや呪いや祟りで弟子たちを撃つためのものであったと解した指標は全く存在しない。事実、この体験によって弟子たちは、精神的「死」の状態から「生」の次元に新たに甦らされたのである。あえて図式的に言えば、ここには一つの「弁証」がある。イエスの側からすれば、生前の人気ある活動が十字架死という反対極に逆転し、それがさらに全く別次元の命へと再逆転する。「生―死―新生」の弁証法の印象深い実証である。同時に弟子たちの側から見ると、それはイエスへの信従が彼への裏切りに暗転し、さらにはもう一度甦ったイエスに従う可能性へと再反転させられたことになる。これもまた、「生―死―新生」の弁証法的過程を自ら通過させられたことを証している。>(佐藤研著『はじまりのキリスト教』〔岩波書店〕p37~39)
私は聖書に関しては基本的に八木誠一氏に学ぶ者であるが、「空の墓」についての八木説は以下のとおり。
「イエスの墓が空虚であったという福音書の記事は、記事としてみてもつじつまの合わない点が多く、批判的研究者の多くはこの話の史実性を否定するのである。」(『イエス』〔清水書院〕p194) 。
<第一の「空虚な墓」の物語は歴史的事実ではなく伝説であると考えられる。その理由は、最も古く確実な証言を残したパウロは「空虚な墓」について何も言及していないのみならず、パウロによると復活体は霊的存在であって、墓から出れば墓が空になるような肉体ではない(Ⅰコリント一五35以下)。パウロの「中に生きる」キリスト(ガラテア二20)は、肉体的存在ではありえない。またマルコの記事自身に不可解な点が多い(イエスの死後三日目になってから遺体に香油を塗りに行く。大きな石で墓がふさいであることを知りながら、それを取り除ける力のない女だけで行く。白い衣を着た若者は史実らしくない、等)。さらに「空虚な墓」の物語は奇跡物語同様他に類例が多い。〔中略〕イエスの場合だけに限って同様の話が史実だと考えなくてはならないいわれはない。〔中略〕復活体験はよく言われるように幻視幻聴である(ブルトマン等)のではない。幻視幻聴はあるいは随伴現象としてあったのかもしれないが(確かな証拠は何もない)、それは事柄の本質ではなく、キリスト顕現は本質上外的な事件や内的な幻として描けるようなものではないのである。弟子達が「キリストの顕現」に接する過程には次のような事情があったのかもしれない(これは推定であり、この推定が正しくないとしても、以上の議論に別に変わりはない)。弟子達はイエスの死後、イエスの死という謎に直面して深い困惑と絶望に陥った。そのとき、ユダヤ教に伝統的な考え方に影響されて、イエスの死は罪のない義人が人の罪をあがなうための死なのだ、と解したのである。このように解釈して教祖の死という(信徒にとっては)不可解な事態を説明することは、他にも例がある(高木宏夫『日本の新興宗教』、岩波新書、一九五九年、一一二ページ以下参照。仏教でも、釈迦の死を説明する必要がきっかけとなって、仏身に関する理論が展開したという)。このとき弟子達ははじめて、従来克服出来なかったユダヤ教的律法主義から自由になった(律法が守れなくても、イエスの死によって義とされるから、律法はもはや救いの必要条件ではない)。弟子達は律法主義的な自己に死んだ。このようにして律法主義的自己に死んだとき、彼等は全く思いがけず新生したのである。このような新生は、今日なお多くの人々が経験するところではないか。そして弟子達は、今や彼等に自覚された本来的実存の根柢を、イエスの復活体と言いあらわしたのである。もっとも、イエスの十字架を贖罪と解釈したことが、弟子を新生へと導いたという仮説は、従来私が提出した説の中でもっとも反論の多いものである。反論は、弟子達はまず顕現に接して、ここからして十字架を贖罪のためと理解したのだ、と言う。しかしこう考えると、新約聖書の中で、どうしてあそこまで「イエスが十字架上で贖罪死をとげたから」我々の罪は赦されるのだ、と主張されるのか、説明できないと私は思うのである。〔中略〕いずれにせよ私はこの点では、上の問題をよりよく説明する解釈があれば、顕現の事実から逆に十字架の意味が解釈されたのだ、という説を受け容れてもよいと思っている。順序をこう考えてもその他の点は別に変更の必要はないのである。>(『キリストとイエス』〔講談社現代新書〕)
このように、八木誠一氏は「空の墓」の史実性を否定して伝説と見なしておられ、イエスの「復活」した体は肉体ではなく霊体であると断じておられるので、墓の中にイエスの肉体が残っていたとしても「復活(顕現)」は成り立つことになる。その点では「空の墓」の史実性が復活信仰成立の根拠とはならないことになる。
これに対して佐藤研氏の立場はあくまでも「空の墓」の史実性が復活信仰成立の根拠なので繰り返して強調なさるが、マタイおよびユスティノスなどのキリスト教側文書の証言だけでは不十分であり、少なくともイエスの十字架刑と同様にヨセフスやタキトゥスのような第三者(歴史家など)の証言(ただしキリスト教側証言の焼き直しでは無効)、史料的にはユダヤ教側文書に「空の墓」の確認記録が残されていなければ「史実」とまでは言えないだろう。確かに、<イエスの「復活」は、その死体を墓から盗み出した上で作り出されたキリスト教徒の虚構であるという主張が、実際にユダヤ教ラビ文献に認められる>と言われてはいる(荒井献著『イエス・キリスト(下)』〔講談社学術文庫〕p412)。従ってマタイ福音書の「墓の番人」の物語(27:62~66)と「祭司長たちの策略」の記事(28:11~15)が、<イエスの「復活」に対するユダヤ教側の反論をキリスト教側から再反論する目的で作り出された>ことは事実であると言えるだろう(同、p418参照)。しかしだからと言って、「空の墓」が史実であることの根拠になり得るのだろうか?ユダヤ教側が実際にイエスが葬られた墓の中を確認したという記録でもあるのだろうか?もし、そんなものがあるなら、後述のG・リューデマンの説やJ.D.クロッサンの説が出てくるはずがない!彼らの説は「空の墓」が史実なら成立しないからである。クロッサン説などはそもそもイエスが墓に葬られたことを否定するものだ。 リューデマンも、橋本滋男訳『イエスの復活』(日基教団出版)の中で「イエスの遺体が弟子たちによって盗まれたという噂は、マタイ時代のユダヤ人の間でも明らかに一般的に広まっていた」ことを認めた上で次のように述べている。「もっとも、これがこのままの形で正確に広められることはあり得ない。というのは、それではユダヤ人はまさにイエスの復活を正式に認めることになるからである。これは、ユダヤ人についての極端に否定的な描写であるとともに、全くキリスト教によって形作られた報告であることを示している。〔中略〕イエスの遺体が盗まれたという噂は、確かに歴史的であるが、しかし盗難そのものは歴史的ではない。というのは、弟子たち(女性も)はイエスがどこに「葬られた」かを全く知らなかったからである。また、イエスに対する彼らの深い絶望のゆえに、とてもこのような欺瞞を画策する状態ではなかった。〔中略〕墓の番兵たちの買収を語る伝承は、歴史的には真面目には考えられない。というのは、これはマタイの、すなわち彼の伝承の、偏った特色をもっていることがあまりにも明白だからである。さらに、墓で眠ってしまったという番兵たちの告白は、彼らの命にかかわることであったであろう。」(p82~83)
イエスの遺体が盗まれたというユダヤ人内の噂は史実だとしても、それが「空の墓」の史実性を裏付ける決定的な根拠にはならない。イエスの死体消失を確認したことを直接示していないからである。しかし佐藤氏は私信にて次のように述べておられる。
<私の論の最大のポイントは、死体のある場所が分かっている場合、そして(必要ならば)死体を指示することが出来る場合、当時のユダヤ教徒にはその死体の人物が「起こされた」(=復活させられた/復活した)とは言うことが出来ない、という点にあります。「ユダヤ教」側(正確にはイエス派の敵対者側ということだと思います)に「空の墓」を示す証言があるかということですが、それはマタイ27:64と28:13-15に収録編集されていると考えています。また、「弟子たちが死体を盗んだ」というユダヤ人敵対者側の意見は、ユスティノス『対話』108:2にも出て来ます。また後代で四世紀頃になりますが、シリア語の『殉教者行伝』(P.シェーファー『タルムードの中のイエス』岩波書店、182-184)に、死体を盗んで復活を主張するというトポスが出て来、それが間接的には「イエスの弟子たちがイエスの死体を盗んだ」という俗見の存在を示唆するかも知れません。こうしたもの以外で、「ユダヤ教」の文書で「空の墓」にはっきりと言及した文書があるかといえば、ありません。しかし、だから「決定的根拠」に欠けている、という風には考えておりません。なぜクロッサンやリューデマンのような「プロ」の学者が私のように考えないのかと言われても、答えることは困難です。私の言っていることはコロンブスの卵のようなものでしょう。高名な「プロ」が全部正しい結論を出しているわけでもありません。クロッサンは当時の十字架刑の一般の慣習から──イエス埋葬の記事(マルコ15:42以下)やそれへの最初期の言及(1コリント15:4)を単純に拒否して──自説を押し出しているものです。リューデマンは、イエスの死体は「墓で朽ち果てた」と言いますが、死体が「朽ち果てる」よりもずっと早い時期に「起こし」信仰が発生したであろう時間の連鎖を考慮していません。ただし、私は自説を強制はしません。それでも、私のように考えない場合、どのようにして当時のユダヤ人に「イエスの起こし」なる信仰が説得的に成立し得たのか、それをこそ納得できるように説明する必要があるでしょう。>
これで私は「空の墓」問題については佐藤氏の「史実」説を支持することにした。
それとは別のこととして、佐藤氏の「最終的には、誰にも解けぬ謎として残る」という言葉に対してはあえて批判的意見を述べずにはおれない。それは期待しているからこそだが、このような気概では「ニカイア信条的・カルケドン信条的神学の解体」などといった勇ましい話が馴染まないよ・・・、と発破をかけたいのである。
八木氏と佐藤氏との中間的位置に当たるのが松田央氏の立場であり、次のように述べている。
<聖書学者ウエイト・ウイリスの所見によれば、空っぽの墓の報告はイエスの復活の事実性を証明しておらず、また復活の使信において重要な要素ではない。そして彼の見解によると、新約聖書で証言されている復活とは物質の体を持つことではなく、「霊の体」を持つことである。そこでウイリスは、たとえ空っぽの墓という事実がなくとも、イエスの復活について考えることは可能であると主張する。つまり、復活とはもとの体が生き返ることではなく、新しい不滅の体を持つことであるから、仮にイエスの遺体が発見されたとしても、そのことはイエスの復活の出来事を否定することにはならないというわけである。私見によれば、この所見は傾聴に値する。(中略)ウイリスは、空っぽの墓の物語も復活顕現物語も新約聖書の最初の素材には存在していなかったということを主張している。それに対して、聖書学者フィーム・パーキンズの解釈によると、初期キリスト教会の伝承では、墓においてイエスの遺体は残っていなかったということが強調されている。(中略)空っぽの墓の物語は、ウイリスが結論づけているように、福音書の記者が独自に創作した産物ではなく、初期の伝承にさかのぼるものであるというわけである。確かに空っぽの墓の事実それ自体は、復活の信仰を生み出さない。弟子たちが空っぽの墓の事実を知って、それからイエスの復活という漠然とした観念を作りだしたのではない。信仰をもたらすものは、ただ復活したイエスとの出会いのみである。(中略)しかし、他方で福音書は、空っぽの墓の記事においてイエスの復活が生前の体を伴ったものであったことを示している。つまり、イエスはもとの体を用いて復活したからこそ、その遺体は墓に残っていなかったというわけである。ここからもわかるように、初期の教会は空っぽの墓という事柄を非常に重視していたということになる。それではなぜ初期の教会はそのことに固執したのだろうか。それは第一に当時のユダヤ教の伝統において死者の復活が肉体を伴うものとして想定されていたからである。(中略)もしも空っぽの墓の記事が事実でなかったならば、彼らの伝道は不可能であった。したがって、史実としてイエスの墓は空っぽであったということを受け入れた方が自然であり、また明快である。(中略)福音書の記者は、彼女たちがイエスの墓の場所を間違えるということはありえないということを訴えているのである。このことは当時の教会において、イエスの墓が空っぽであったということが史実として受け入れられていたということを意味する。それゆえ、今日の教会も空っぽの墓の記事を史実の意味で告知すべきである。(中略)空っぽの墓の事実は、信仰を目覚めさせるための付随的な証拠にすぎない。すでに論考したように、復活の真の証明は、復活したイエスとの出会いである。ガリラヤの婦人たちも空っぽの墓の事実からイエスの復活に気づいたのではない。彼女たちも弟子たちも復活したイエスを見ることによってはじめて復活信仰を持ちえたのである。>(~松田央氏の論文<「復活の使信(その1)-キリストの復活の本質->)
問題はその「見る」ということである。イエスの復活体が肉体と不可分であることは佐藤研氏が「ユダヤ教徒の人間学的大前提」としての「心身一如」として指摘しておられることである(~<「復活」信仰の成立> ※この説を信用するなら、八木氏の「復活体=霊体」説には疑問が残る)。復活顕現については、佐藤氏などは「幻視」説をとるが、ここで松田氏は全く保守的な見解に立っている (以下、原文のギリシャ語表記は割愛する)。
<カール・バルトの解釈によると、「現れた」(オーフセー)ということは、キリストが自分自身を明らかに示した、彼が真実なることを証明した、彼が自ら証言を立てた、ということである。(中略)ここでは「現れた」という事実および現れた主語がキリストであるということが重要である。「現れた」ということだけが、使信の内容なのである。言い換えれば、私たちの罪のために十字架で死んだキリストが生きているということが使信の内容なのである。(中略)ところで「オーフセー」(現れた)は受動態のアオリスト(過去形の一種)である。原形は「ホラオー」(見る)という動詞であり、直訳すれば「見られた」とも訳せる。そこで視点を変えれば、ペトロをはじめとしてイエスの弟子たちは、復活したイエスを「見た」という意味に解釈することも可能である。ただし、弟子たちがイエスを「見た」ということだけに関心が集中してしまうならば、その解釈は本来の使信から逸脱する危険性をはらむことになる。というのは、バルトがいうように、弟子たちがどのような方法でイエスの顕現を目撃したのかという表象的・現象的側面に注意が向けられてしまうからである。そうなると、畢竟するに弟子たちは神秘的な経験においてイエスの幻影を見たのではないかというような無用な憶測を引き起こすことになる。その結果、復活顕現は今日の私たちには何の関係もない、単なる伝説になってしまう。この場合、弟子たちがイエスを「見た」ということは、彼らだけに了解された特殊な神秘的経験(幻視など)や弟子たちの悔い改め(立ち直り)に関する解釈を意味するのではない。復活顕現に関する限り、そのような解釈論的な記述は、新約聖書のどこにも認められない。むしろここではイエスが彼らの前に「現れた」ということが、出来事として端的に素朴に報告されているのである。そのことを信じるかどうかは別として、少なくとも原始キリスト教の人々は、そのような意図で聖書を書いているのである。そして、復活信仰が可能になるかどうかは、このような著者の意図を正しく理解するかどうかということにかかっている。さらにいうならば、イエスの弟子たちによる復活の使信は信じるに値する。それはなぜかというと、第一に彼らは主の復活を全く予期していなかったのだから、彼らの復活信仰が幻想や想像の産物であるということは明確に否定される。(中略)復活のイエスに出会った弟子たちが、復活の事実を疑ったということは、イエスの復活が弟子たちの期待や願望の次元を超越していたということを意味する。復活の顕現の出来事なしには、復活信仰というものは決して成立しなかったのである。>(~松田央氏の論文<「復活の使信(その2)-復活のイエスの顕現->)
いかにも「幻視」というものが期待や願望や投影であって、そうしたものがなければ生じ得ないかのようなもの言いだが、そもそも(広義の)「幻視」を単なる「幻想や想像の産物」として処理することができるだろうか?このへんは心理学など専門的見識を必要とする。その点では後述のタイセンの論考が参考になるだろう。とにかく、以上の松田氏の立場は、バルトと同じくイエスの弟子たち及び福音書記者の証言・使信の承認を前提とした、論理の飛躍も含む断定的な説であり史的客観性を欠く。「原始キリスト教の人々」の「意図」がバルトや松田氏の見立ての通りであるとしても、まさに「それを信じるかどうか」が問題であって「別として」考えることはできない。その前提を批判的に検証するのが学問であろう。そもそもバルト神学の「歴史」は一般的概念としての「歴史」、すなわち科学的に客観性が検証された事実という意味での「歴史」ではないので、イエスを史的人物として探究する上では参考にならない。なお、松田氏は「空の墓」と「復活(顕現)」との関係は「相即不離」だとし、「空の墓」が史実でなければ「復活(顕現)」も歴史上の出来事であるとは言えないと明言しない。いずれにせよ、独断的に「イエスの弟子たちによる復活の使信は信じるに値する」と語る松田氏の説も積極的意味では参考にならない。私見ではカンペンハウゼンよりも護教的である。
そのカンペンハウゼンなどよりは遥かにリアリティーが高い、「第三の探究」の「イエス・セミナー」の一人であるJ.D.クロッサンの説に依拠している日本人の例として、以下に渡辺英俊氏の説を見ておく。自分のサイトに全文を出しているので閲覧すればよい。ここでは要点だけを抽出しておく(私は所謂「社会派牧師」嫌いなので、ここには参考程度に氏の感想を記すだけ。学習はあくまでもクロッサンの原著を読むべし! )。なお、引用箇所にはカギ括弧が1つしか記されていないので、残りはこちらで記入している。
<現代では、「幻視」とか「幻聴」とかいうものは、精神疾患の症状としてしか評価されていない。現代人は人工的な「幻」を受け身で見る(TVはその代表だろう)ことに慣らされて、自分で幻をみる能力を失ってしまったのではないか。しかし、「幻」は人間本来の心理的能力としての想像力の極限にあるものではないか。人が内面に強烈に抱いてしまったものは外の空間に投影されて幻となる。紀元1世紀の熱い時代に生きていた人びとは、イエスの生と死の強烈過ぎる印象を内面に抱え込んだとき、それを外に投影させて生きているイエスの幻を見たのであろう。それほど熱く、強くイエスを自分の内面に取り込んだのであろう。ただ、復活体験を幻視体験として理解する場合の最大の障害は、遺体の問題である。遺体があっては「復活」という幻は成立しないからである。このことについては、わたしたちはジョン・ドミニク・クロッサンの厳しい指摘に傾聴する必要がある。
「十字架刑をこれほど恐るべきものにしたのは……その非人間的な残虐性や社会的な不名誉ばかりではない。最終的には埋葬物が何も残らないという現実も一役買っていた。火に投げ込まれ猛獣の前に投げ出されることに肉体的な滅びが伴なうことは明らかである。しかし、十字架刑も同様であることをわれわれはしばしば忘れている。死体や瀕死の受刑者の上には死肉を食らう烏が舞い、下には腐肉をあさる犬どもがうなり声を上げるのである。」(「イエス」太田修司訳204ページ以下)
通常の状況下では、兵士たちが受刑者を死ぬまで警護し、その後は死肉を食らう烏や腐肉をあさる犬や野獣に任せて、この残酷な仕事にけりをつけた。十字架につけられたものを埋葬しないことは、見物人たちに対する当局の見せしめであった。」(同書246ページ)権力に逆らう下層の者たちに対する見せしめとしての十字架刑の本質は、殺すだけでなく、死んだ後まで辱めることにあった。遺体が残らないのが十字架刑だというのである。イエスを「天からの神の子」に祭り上げた復活後の教会の伝承は、十字架刑のこの厳しさに耐えられなかった。せめて墓だけは作りたいという願いの反映として、「アリマタヤのヨセフ」を登場させ、イエスを岩の墓に納めさせる。だが、クロッサンの指摘するように(同書246ページ)、イエスに刑を宣告した集団にいながら十字架刑を食い止められなかった者に、葬ることの許されない死体を葬ることは不可能だ。十字架刑の現実の経過としては、刑の宣告を食い止めるよりも受刑者の遺体を葬ることの方がむずかしい。マルコに発すると思われるこの虚構は、十字架刑のむごさの極限から目をそらしている。そして、「空虚な墓」というもう一つの虚構を余儀なくさせている。しかし、現実の十字架刑のむごさの極限を最後まで目撃して、魂を引きちぎられるような思いを味わった者たちは、その茫然自失のなかで、むしろそれをテコにして「復活」という幻を見ることができたのだと考えられる。〔中略〕イエスの十字架の死の目撃者となり、その痛みを全身で受け止めた何人かの女性たちがいた。その中の1人、または複数が、イエスの遺体の消失というさらに過酷な事態に直面し、錯乱するような悲しみの中で、イエスが生き返って目の前に立っているのを幻で見る。それは、彼女たち自身の中に深く根を下ろして生きているイエスの生きざまのイメージの投影なのだが、彼女たちにとってはイエスの生き返り以外の何ものでもなかった。この目撃体験はたちまち他の女性たちに、そして逃げ散ったイエス集団の仲間たちへと伝播し、集団が再結集されて爆発的な活動を始める。やがてイエスの側近だったケファを筆頭とする男性たちも戻ってきて、女性たちからリーダーシップを奪い取る。この過程は必ずしも平穏なものではなかったと見なければならない。なぜなら、教会の最初期の段階ですでに、パウロに伝えられたような、権威の序列としての目撃者男性リストが作られたことは、男性権力による徹底的な伝承の統制が行われたことを示すからである。それと共に、焚書と呼ぶほかない女性伝承の抹殺が行われる。われわれの手にある福音書伝承は、イエス集団のリーダーシップに関する限り、女性をまったく周縁においている。マルコの手で奇跡的に名前だけ書き伝えられた3人の女性リーダーに関して、これほど何も伝わっていないのは、伝承の抹殺がなければ考えられないことである。男性たちの権威的リーダーシップのもとで成立したエルサレム教会で、復活の物語も、素朴な伝説的幻視体験から、「神の子キリストの栄光の顕現」の物語に語り変えられる。こうして復活者は、礼拝の対象としてのキリストにさせられ、宗教化した教会の枠の中に閉じこめられるのである。>(「イエスの幻を見る」~『私にとって「復活」とは』〔日基教団出版局〕)
http://homepage3.nifty.com/eishun-naka/bunsho/2005-08Vision%20of%20Jesus.htm
このように渡辺氏はクロッサン説に基づき、「空虚の墓」は虚構であると見なし、当時の十字架刑の主旨からイエスの遺体はそもそも葬られずに放置されたままで、その死肉は猛禽類や野良犬に食われたものとみている。「顕現」については幻視説をとる。この点はクロッサンもリューデマンと同じである。そして、遺体があるのに復活があり得たという説(大貫氏など)と異なる点では、「空虚な墓」を史実とするもしないも共通している。また、クロッサン説では、<カンペンハウゼン説=佐藤研説>とは異なり、アリマタヤのヨセフも虚構の人物としているところが特に重要である。 いずれにせよ、やすいゆたか氏のカニバリズムの仰天仮説よりははるかにマシであろう。同じくイエスの死肉を喰らったにせよ、そいつは人間より他の動物の方がよい。 この人物は、「イエスは弟子によって食べられて復活したというのも、あくまで仮説でして、キリスト教徒はヤーヴェによって復活させられたとしているけれど、弟子たちがイエスの聖霊を引き継ぐためにイエスの体を飲食し、そのことによる同一視倒錯で復活の共同幻想が生じたとも解釈できる」などと述べている。
なお、クロッサンの弱点と疑義については大貫隆著『イエスという経験』(岩波書店)p13~15参照。彼の著書『イエス あるユダヤ人貧農の革命的生涯』(新教出版社 ※訳者の太田修司氏は1950年青森県生まれ。埼玉大学理工学部卒、立教大学文学研究博士後期課程修了。現在は翻訳家。著書は、〔これは共著〕『現代聖書講座』第2巻〔日基教団出版〕。訳書は、〔これは共訳〕E.P.サンダース著『パウロ』〔教文館〕他。)については、橋本滋男氏がその翻訳書であるG・リューデマン著『イエスの復活 実際に何が起こったのか』(日基教団出版局)のあとがきで、リューデマンの復活否定説は、同じ復活否定でも、このクロッサンの書「に比べれば、かなり穏やかである」(p221)と述べている。
なお、『イエス・キリストの復活 現代のアンソロジー』によれば、以下のとおり。
佐竹明氏は、<何が彼らにこのような変化をもたらしたのか。おそらくそれは、まずペテロ、次いで何人かの他の者が、復活したイエスに出会うという一種の幻視体験をしたことと深く関わっていよう。このような幻視体験については、たとえば、パウロがⅠコリント一五3以下で引用している、彼自身も先輩から伝えられたという信仰告白定型の中に言及されている。〔中略〕ここでは、この一連の幻視体験が、最も基本的な告白定型に組み入れられるほど、初代のキリスト教にとって決定的に重要な事実――おそらくそれの出発点――として受けとめられていたということを読み取れば十分である。>(『使徒パウロ――伝道にかけた生涯』〔日本放送協会出版、新教出版社〕より)
ゲルト・タイセンの「基本命題」は、<原始キリスト教の発端である復活日の経験は幻視体験である。パウロが復活のイエスの顕現に接したことも、パウロが幻視者であったことを示している。これらの幻視が当事者にとって、「体験として真正なもの」であることは疑いを容れない。現代心理学の知見に従って、幻視を「喪の幻」、「臨死の幻」、「覚醒の幻」の三つに分けて、それぞれの事例との類比で復活節における幻視を解釈する。この内、原始キリスト教とパウロの幻視体験を理解する上で有益なのは「臨死の幻」である。>となっていて、本文でタイセンは、「原始キリスト教の発端にあるのは幻視である。また史的イエスにとっては、おそらくサタンが天から墜落する幻を見たこと(ルカ一〇18)が一種の召命体験であった。」と述べている(p168~169)。

そもそも「復活&顕現」批判は史的イエス探究の(最大ではあるが)要素にすぎず、その如何を明確にすることが究極の目的ではない。究極の目的は、イエスは決して「神=ヤハウェ」と「ホモウーシオス」などではなく、何らかの意味に於いて「特別」(遠藤周作が『キリストの誕生』で「X」としたこと)ではあっても決して超人的意味に於いてではないことを明らかにすることである。では、自分にとってのイエスの「特別」さとは何か?それは理想的人間としての倫理・道徳的「特別」さでもなく、要は「神=ヤハウェ」から「神(との)関係」の啓示媒体・仲介者として選ばれたことによる「特別」さである。人間としての彼自身に所属する相対的因子ではなく、あくまでも「神=ヤハウェ」の自由なる御意によるところであって、イエスは「神の霊=聖霊」を先天的に充満された存在である。それこそが神秘なのである。人間の救済が無条件で一方的な恩寵によるものであると同じく、イエスの選びも「神=ヤハウェ」の一方的な恩寵によるものだった。だから「全能なる神」のなされることであり、私はイエスの「復活」は史実として否定しない。そう、「神=ヤハウェ」は全能ゆえ、「まことに神」ではなく「まことに人」だが御霊に満たされたイエスを復活させることはできただろう。イエスが「神」でも「天使」でもなく、いかに生前から特別に選ばれた仲介者であろうと「人」である限り、その彼が全能なる「神」によって「奇跡」を起こし「復活」し「昇天」したとしても、それをもって「歴史」の現実を軽視することにはならない。なぜならその「歴史」もまた人知の領域に限定され、従来「事実」と云われてきたことが「虚偽」にならないとの保証など無く、相対性を免れ得ないものだからだ。弟子たちの「顕現」同時体験も、人数には脚色があるにせよ、科学的思考なき時代の迷信に満ちた社会では心理的現象としてあり得たかも知れない。現代でも幽霊を本気で信じる者には幽霊が見えることもあるだろう。だからイエスその人の神性が否定されるなら、その他の神話的な要素は必ずしも否定されなくてもよい。イエスの十字架刑死が「贖罪」を意味するということも、その主体がイエス本人ではなく「父」なる「神」である以上、これを認めることが出来る。

「神=ヤハウェ」は、「御自身をイエスの父として定義された」(『イエス・キリストの復活 現代のアンソロジー』p213)が、それは「十字架の刑死に遺棄されたイエスと自らを同一化して十字架につけられた」(同、p124)ということではない。そのような考え方はまさに滝沢克己氏の思想における、「神」と「人」との「不可同・不可逆」の原関係ということをわかっていない証拠である。エイレナイオス(ではなくアタナシオスの「受肉論」54:3での発言)は「神が人となったのは、人が神となるためである」といった趣旨のことを述べているそうだが(同、p260)、いかにギリシャ正教会の「神化」(テオーシス)が実体的意味ではないにせよ、誤解されるおそれが高い無神経な表現であり、また実際にも、「不可分」に重きが置かれ「不可同・不可逆」の自覚の弱さ、あるいは欠如を反映していると思う。それが(神秘)体験偏重の宗教の欠点と言えるだろう。私は基本的にイエスと「神=ヤハウェ」との「不可同・不可逆」が曖昧な神秘主義的立場は信用しないし、生理的に嫌いである。ただ、体験性が全くない教条主義的宗教も信用しないし、嫌いである。何事も過ぎたり偏るのはよくない。

神の霊が私を造り、全能者の息が私を生かす。」(ヨブ記33:4 並木浩一訳)

 

「あなたが顔を隠すと彼らはおびえ、あなたが彼らの霊を集めると彼らは息絶え、彼らの塵に帰る。あなたがあなたの霊を送ると彼らは創られ、あなたは土地の表を新しくする。」(詩篇104:29~30 松田伊作訳)

 

「誇れ、かれの聖なる名を、喜べ、ヤハウェを尋ねる者たちの心は。求めよ、ヤハウェとその力とを、尋ねよ、かれの顔を常に。」(同上、105:3~4 同訳)

 

<われらにではなく、ヤハウェよ、われらにではなく、あなたの名にこそ、栄光を与えて下さい、あなたの恵み〔と〕真実のゆえに。なにゆえ諸国民は言うのか、「彼らの神は、いったいどこだ」と。われらの神は天に〔いまし〕、おのが悦ぶことをみな行なう。>(同上、115:1~3 同訳)

 

ヤハウェを畏れることは、いのちの泉、死の罠から免れさせる。」(箴言14:27 勝村弘也訳)

 

「友愛と真実によって、咎は覆われる。ヤハウェを畏れることによって、〔ひとは〕悪から離れる。」(同上、16:6 同訳)

 

「人の心は、その道を考え出すが、その歩みを導くのは、ヤハウェである。」(同上、16:9 同訳)

 

人の息は、ヤハウェの灯火。腹の中の隅々まで調べあげる。」(同上、20:27 同訳)

 

<私を貧乏にも富裕にもしないで下さい。私に適する量のパンを味わわせて下さい。私が飽き足りて、〔あなたを〕否認し、「ヤハウェとは誰か」と言うことのないように。また、私が貧乏になって、盗みを働き、私の神の名を粗末に扱うことのないように。>(同上、30:8~9 同訳)

 

「神の前では、言葉を出そうとして、慌てて口を開いたり、心を焦らせたりするな。なぜなら、神は天におり、あなたは地上にいるのだから。」(コーヘレト書5:1 月本昭男訳 )

 

「幸いの日には幸いであれ。災いの日には〔災いを〕見つめよ。人間が後のことを何一つ見きわめ〔られ〕ないようにと、神はあれもこれも造り出したのだ。」(同上、7:14 同訳)

 

「そして、塵はもと通りに地に戻り、霊はこれを与えた神に戻る。」(同上、12:7 同訳)

 

神ヤハウェが、こう言われる、すなわち、天を創造し、これを張り巡らし、地とその作物を推し広げ、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を授ける方が、「わたし、ヤハウェは、義をもってあなたを呼び、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約と、また国々の光とする。>(イザヤ書 42:5~6 関根清三訳)

 

<あなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――、また、わたしが選んだわが僕だ。〔選んだのは、〕あなたたちが知って、わたしを信じ、わたしがその者だと、悟るためである。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にも存在しない。わたし、このわたしこそ、ヤハウェであって、わたしの他に救い主はいない。このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたたちのうちに、他には〔神は〕いなかった。そしてあなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――。わたしが神だ。これから後もわたしがそれだ。わたしの手から取り返せる者はなく、わたしが事を行なえば、誰がそれをもとに返すことができようか」。>(同上、43:10~12 同訳)

 

「まことにわたしは干からびた地に水を、乾いた地に流れを、注ぐ。わが霊をあなたの子孫に、わが祝福をあなたの裔に、注ぐ。こうして彼らは、青草の中にあって、水のほとりの柳のように、芽生える。」(同上、44:3~4 同訳)

 

<ヤハウェが、こう言われる、イスラエルの王、これの贖い主、万軍のヤハウェが、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしの他に神はいない。>(同上、44:6 同訳)

 

<わたしがヤハウェである。他にはいない。わたしの他に神はいない。わたしはあなたに力を帯びさせるが、あなたはわたしを知らない。これは、わたしの他には空であると、日の上る方からも、暮れる方からも、人々が知るためだ。わたしがヤハウェである。他にはいない。〔わたしは〕光を造り、闇を創造する者、平安を作り、災いを創造する者。わたしはヤハウェ、これら総てを作る者」。>(同上、45:5~7 同訳)

 

ヤハウェは、胎内にある時から私を召し、母の腹にいる時から私の名を呼ばれた。」(同上、49:1b)

 

<彼は私に言った、「人の子よ、あなたの足で立て。わたしはあなたの語ろう」。彼が私に語ったとき、霊が私の中に入り、私をわが足で立たせた。私は私に語りかける方〔の声〕を聞いた。>(エゼキエル書2:1~2 月本昭男訳)

 

「こうして、わたしがお前たちの墓を開き、お前たちをわが民としてその墓から上らせるとき、お前たちは知るであろう、わたしがヤハウェである、と。わたしがお前たちの中にわが霊を与えるとき、お前たちは生き〔返〕るであろう。」(同上、37:13~14 同訳)