古代人イエスのABBA(4)

 

Ⅱ.「復活」の真相

荒井献氏は、<我々が歴史的に確認できるのは、イエスの十字架を境にして、その前に師を見捨てた弟子たちが、その後に彼をキリストと信じ、宣教を開始したという事実だけである。彼らの振舞にこのような転換が起った原因としてあげうるのは、彼らが復活のイエスの顕現体験を持ったということのみであって、イエスの復活と顕現そのものの史実性を問うことは無意味である。当然のことながら、我々が歴史的「事実」と言うとき、それはだれに対しても実証される一つの事態、だれもが追認できる一つの事態のことである。しかし、この意味で復活は、はっきり言って「事実」ではありえない。もし復活が、この世の原因と結果の連鎖の中にはめ込まれる事態であると言うのであれば、それはむしろ復活という事柄の本質に反するであろう。>と述べておられるが(『イエス・キリスト (上)』〔講談社学術文庫〕p34)、その程度の「復活」批判であるなら、山内眞氏の、「弟子たちの出来事の解釈は、復活を明瞭に時間ー空間内に場を占める出来事とする点においてまず歴史的(enhypostatic)な解釈である。しかし、同時に、それは、復活を、時間ー空間をこえた領域にかかわる救済論的出来事とみる点において、神学的(anhypostatic)な解釈でもある。もちろん、弟子たちにおいて、両者は対立・乖離しているのではなく、歴史――神学的解釈として統一しているのであり、そこに彼らの復活の出来事の解釈の固有性が認められるのである。」(『復活――その伝承と解釈の可能性』〔日基教団出版〕)などという護教論的詭弁を打ち破ることは難しいだろう。実に曖昧で頼りない説である。「復活」批判で旗色鮮明な立場は3つに絞られてくる。1つめは、八木誠一氏に代表される<「空の墓」伝説>説、2つめは、佐藤研氏に代表される<「空の墓」史実&幻視>説(佐藤研氏)、3つめはJ.D.クロッサンに代表される<十字架刑餌食>説である(やすい ゆたか という人のカニバリズム説は無視)。
荒井氏はまた、高橋照男氏への返信で、自分は佐藤研氏と同じくイエスの「墓が空だった」ことを史実と認め、復活信仰はそれだけではなく弟子たちのイエス顕現体験を共有することが不可欠条件だと述べている。その場合、「幻視」を認めるのかどうかは明言していない。むしろ佐竹明氏の「復活」の意味付けである「到底一人前に扱われる資格なしと自他ともに決めていた自分たちを一人前に遇したイエスのわざに対しての神の然り」などというセンチメンタリズムに理解を示し、<弟子たちにとっても、イエスの顕現体験に基づく復活信仰が、「無資格者に対する神の然り」を意味したということを、私は決して否定するものではありません。しかし、同じ「無資格者」(福音書の言葉でいうと「罪人」)といっても、ガリラヤの民衆、特に「地の民」といわれた人々の場合、つまり社会の最下層におかれた彼らの場合と、例えばペテロやヨハネ、あるいはパウロの場合とでは、その意味するところにはっきりと位相の差異があります。>(荒井氏前掲書p32)と述べている。この「復活」理解は他の著書でも繰り返し言われていることだが、イエスの復活とはそんな情緒的な事柄なのだろうか?ただし、後で引用しているとおり佐竹氏も「復活顕現」については「幻視」説を採っている。
「空の墓」を聖者伝説として史実とはせず、G・リューデマンのように「イエスの墓は空っぽでなく、そこには遺体があったのである。それは消えたのではない。朽ち果てたのである」(『イエスの復活 実際に何が起こったのか』〔日基教団出版〕p200)とみなす立場とは違う立場の佐藤研氏の説を以下で見てみる。 (※注は直後に【】で写す。注記の文章の引用で省略する場合は本文の場合と同様、前文が〔前略〕、中文が〔中略〕、後文が〔後略〕とし、記号等については作業時間と労力の関係で、番号の数字、コーテーションマーク、ウムラウトなど、文意が不明にならない範囲で最大限省略する。これは本文についても同じ。)
<古代教会史家カンペンハウゼン(H.Campenhausen)は、その論文「復活の出来事の経過と空の墓」(一九五二年)という論文【〔前略〕(『空虚な墓』蓮見和男・畑祐喜訳(新教新書)、新教出版社、一九六四年、三ー六五頁。――ただし訳は判りにくい点あり)】の中で、イエスの遺体はいったん墓に収められたが、やがてその墓から消失した、これは否定できない史実である、と論じた。そして、その空の墓の発見を起点に、復活の諸事件が生じていくさまを推定したのである。つまり、婦人たちがイエスの墓が空っぽであったことを発見した後、ペトロはこれを引き続いて起こる復活の証拠と見なした。弟子たちはそれに基づいて、ガリラヤでイエスにまみえるという希望を抱き、ペトロの指導のもとに、そこに赴いた。そして実際当地で、ペトロ以下十二弟子への顕現があった、云々と史的経過を再構成したのである。これに対しては批判がある。事実、そのようなガリラヤへの一団となった帰還があったなどというには論者のファンタジーでしかないと言えよう。【H.Conzelmann,Art.:Auferstehung,RGG I,1957,Sp.700.】しかし、イエスの墓が実際に空になってしまったということ自体の史実性は、今でも否定できないものと私は考えている。ただしキリスト教学の分野では、このことの持つ意義が十分に反省はされていないように思われる。当のカンペンハウゼンですら、表層的事件の経過を想定するところで止まってしまっている。イエスの墓が空になった、ということが史実であると想定せざるを得ない最大の論拠は次の点にある。つまり、イエスの直弟子たちがイエスは「復活した」と宣教し始めた時、一般のユダヤ教徒がそれを反駁するに際し、墓の中のイエスの死体を指示できなかった点である。【墓は当時ユダヤのおそらく名士の一人「アリマタヤのヨセフ」の墓であったから(マルコ一五43とその並行記事参照)、場所は周知だったはずである。】それができれば、ユダヤ教的表象世界の中では、「イエス復活」への最大の反論となったはずである。ユダヤ教徒の人間学的大前提の一つは、人間とは心と体を切り離すことができない、総体的存在であるという点にある。【特にH.W.Wolff,Anthropologie des Alten Testaments,Munchen 1973,1974,そのpp.21-123参照。】日本語的に言えば、人間とは「心身一如」的存在なのである。したがって、ある者が「誰それは復活した」と主張しても、その者の死体が目の前にあるのであれば、その主張は実質的に否定されてしまわざるを得ないのである。現実の死体を度外視して「魂だけが復活する」などというのは、ユダヤ教世界の与り知らぬ言辞だからである。つまり直弟子以外のユダヤ人たちも、イエスの死体がなくなったことは承認せざるを得なかったのである。ただそれを彼らは、イエスの弟子たちがイエスの死体を盗み出し、イエスが復活した、などと言いふらしている、と解釈したのである。このことの証左は福音書の中に存在する。〔中略〕(マタイ二八11-15) この中で、墓の番兵たちというモチーフは、マタイ福音書の中で二次的に構成されたものである可能性が高いであろう。しかし、「あいつの弟子どもが夜中にやってきて、われわれが眠っている間にあいつを盗んだのだ」という噂は「今日に至るまで」、すなわちマタイの同時代(紀元八〇年代)まで、ユダヤ人の間に言い伝えられているというのは、マタイの証言する現実と見てよい。【R.H.Gundry,Matthew,Grand Rapids 1994,p.585;カンペンハウゼン『空虚な墓』二八頁参照。】実際、二世紀前半のキリスト教御教家ユスティノスも、二世紀末のテルトリアヌスも、ユダヤ教徒側が依然としてなしているその種の批判の存在を示唆している。【ユスティノス『トリュフォンとの対話』108 テルトリアヌス『見せ物について(de spectaculis』30 。なお、E.Klostermann,Das Matthausevangelium(HNT 4),Tubingen 1971,p.226;カンペンハウゼン『空虚な墓』三四、一二八頁注三六参照。また福音書記者マタイは、「祭司長たちとファリサイ人たち」が総督ピラトに次のような言葉を告げたと物語ってもいるが、これも同様の背景をもとに構成されたものである。「・・・・三日まで、墓の警備をするように命じてください。そうでなければ、彼の弟子たちがやってきて、彼を盗み、『彼は死人たちの中から起こされた』などと民に吹聴するでしょう」(二七64)。】
では、イエスの遺体はいつ消えたことが判明したのか。これに関しては四福音書が一致して、イエスが死んで後、次の「週の始めの日」、つまり日曜日にマグダラのマリヤ(および他の女たち)が初めてその事態に接したとしている。因みに、最古の福音書記者マルコが受け取ったであろう形の伝承を再構成してみると(以下、「・・・・」はマルコの編集的加筆を削除した箇所を示す)――
さて、・・・・マグダラの女マリヤとヤコブのマリヤとサロメは・・・・週の初めの日、・・・・日の昇る頃墓へ行く。・・・・そして目を上げて見ると、なんと石がすでに転がしてあるのが見える。・・・・そして墓の中に入ると、彼女たちは白い長衣をまとった一人の若者が右側に座っているのを見、ひどく肝をつぶした。すると彼は彼女たちに言う、「〔そのように〕肝をつぶしてはならない。あなたたちは十字架につけられた者、ナザレ人イエスを探している。彼は起こされた、ここにはいない。見よ、ここが彼の納められた場所だ。・・・・」。しかし、彼女たちは外に出るや、墓から逃げ出してしまった。震え上がり、正気を失ってしまったからである。・・・・(マルコ一六1-8)
これはよく見れば、墓が空になったことを告げる伝承ではない。むしろ、その空の墓をもとに、イエスの「起こされた」、すなわち「復活」させられたことを宣言している伝承である。しかしそれでも、イエスの死体が存在していないことはそもそもの前提となっているのである。マタイとルカの記事(マタイ二八1-8、ルカ二三56、二四1-9)は、基本的にはマルコの記事を基にしているので、一層古い、かつ異なった情報を提供することはない。しかし、系統を別にするヨハネ福音書によれば、同類の記事の前半は次のようになっている――〔中略〕(二〇1-2)
おそらく「もう一人のイエスが愛していたかの弟子」というのはヨハネ福音書の著者に由来する付加部分であろう。〔中略〕どちらにせよ、日曜日の朝、イエスの死体が葬られたはずの墓から消失してしまっていたのであり、その事態が、当所を訪れた女たちにまず明らかになったのである。このことの史実性だけは、カンペンハウゼンの言う通り、ほとんど否定できない。そしてこのことは、その報を受けた弟子たちを甚だしい混乱に陥れたことであろう。【マルコ一六8bによれば、女たちは「恐ろしい」あまり、「誰にもひとことも言わなかった」というが、この箇所がマルコの編集に帰すことは現在はほぼ定説である。】
厳密に言えば、直弟子たちはこれで二重の意味の衝撃を蒙ったことになる。イエスの死のショック、それも特に男弟子たちにとっては自分たちが逃げることによってイエスを十字架で殺してしまったことに対する自責の念と一体になった根本的ショックと、今やイエスの死体が忽然と消えてしまったミステリーを前にしての不可解さのショックである。これらは彼らの自意識を震撼させ、撹乱させるに十分の衝撃であったろうと思われる。イエスの運命が、弟子たちの運命をも呑み込む形で巨大な謎に変じてしまった感がある。この時点で、「ペトロは、この空虚な墓を、引き続いて起こる復活の証拠とみなし」た【カンペンハウゼン『空虚な墓』五八頁。】というような悠長な事態が支配したとは、想定しがたいと思われる。実際には何が起こったのか。おそらく最も容易に考えられるのは、誰かがイエスの死体を移動したということである。それは少なくとも、のちに「イエスが現れた」と自ら告げたペトロ等直弟子ではあるまい。その弟子が「空の墓」事件を演出し、それを基に「復活信仰」を捏造・宣伝し、それが以後のキリスト教運動に発展した、とはほとんど考えられない。すると誰であろう。たとえばクラスナー(J.Klausner)は、アリマタヤのヨセフが「自分の父祖たちの墓に、よりにもよって十字架で殺された者が憩うことをいさぎよしとできなかった」ために死体を移動したと考えた。【J.Klausner,Jesus von Nazareth,Berlin 1930,P.496.】つまり、アリマタヤのヨセフが心変わりした、ということであろう。全くあり得なくはないであろうものの、確証はない。これ以外に小説的な可能性を探るなら、アリマタヤのヨセフの行動に憤りを感じた同じ大土地所有者階級――イエスの「敵」であった階級――の者が密かに死体遺棄を謀ったということも考えられようし、あるいは当時の大祭司カヤファが同様の怒りに駆られ、その部下に死体の秘かな始末を命じたこともまんざらあり得なくはない。あるいはそれ以外の人物たちが関わった策謀であったかもしれない。それとも、現在の私たちには予想できない何らかの偶然が重なったか。最終的には、誰にも解けぬ謎として残るであろう。事実だけは確認できる。イエスの死体は消え失せたのである。イエス磔死からくる煩悶のさなか、その遺体喪失という異様な出来事に呆然としたであろう直弟子たちに、しかしながら突然ある変化が起こる。この変化の事件を証言する最古の表現は、私見によれば、「〔イエスが〕現れた」(Ⅰコリント一五5以下、またルカ二四34も参照)というものである。この際、「現れた」(ofte)という言葉は、直訳すれば「見られた」ということであるから、「私は主を見た」(Ⅰコリント九1、ヨハネ二〇18)という表現にも同様の伝承が潜んでいよう。要するに、死を超えてイエスが「現れた」と表現される事件である。この「顕現」体験を初めて持った人物は、Ⅰコリント書一五章5節によればペトロである。もっとも、福音書の方に現れる伝承では、マグダラの女マリヤが第一人者である(マタイ二八9-10、ヨハネ二〇11-18)。時間的にはどちらが先か、歴史的に確認するすべはない。【ペトロへの顕現はガリラヤで生じた、というカンペンハウゼンの想定(『空虚な墓』五六ー五九頁)は、確かな根拠があるわけではない。】二人のうちのどちらも、イエスに最も近い存在であったことは間違いなく、(イスカリオテのユダを除けば)イエスの死によって最も衝撃に見舞われた存在であったとして過言ではなかろう。ましてやペトロは、イエスを実質的に裏切った体験の持ち主なのである(マルコ一四66-72とその並行記事参照)。イエス顕現の事件は、彼らにとって文字通り一八〇度の意識の転回体験であったろうと思われる。このようなヌミノーゼ的体験の言葉は、他の直弟子たちの心に異様なインパクトを与えたであろう。ヌミノーゼはある集団の中で確認される時、その集団構成員たちの潜在意識に働くため、その力は集団内で伝染的効果を生む。ペトロの「顕現」体験は他の「十二人」グループにも広がり、やがて「五百人以上の兄弟たち」の体験にもなったという(Ⅰコリント一五5-6)。この数はもちろん正確ではなく、相当に誇張があろうが、ペトロやマグダラの女マリヤと同じ心的状況にいた少なからぬ数の者たちに、類似の仕方で意識の変容が生じたことは想定できるであろう。また、たとえ自らはそうならなかったにしても、同僚の体験発言に信を置く弟子たちもまた多くいたであろうと思われる。こうして一つの集団的カリスマ現象が発生する。「現れた」という表現は、旧約聖書では神自身や神の使いなどの天的な存在が顕現する啓示事件の決まり文句である。【創一二7、出三2、レビ九23、士六12、王上三5など多数】ということは、「彼は現れた」という表現にすでに、イエスの天的な実体性が内包されている。イエスは天に挙げられた、だからこそ彼の「遺体」は地上から痕跡を消してしまっていた、まさにそのイエスが顕現した、という表象の直感的連鎖が見て取れよう。つまりこれだけでも、イエスは誰かに死体を盗まれたのではなく、神によって天に挙げられたために墓にはいなかったのだ、という確信の誕生が暗示されているのである。〔中略〕そしてもう一度確認するが、これらのすべての表象化が成立するためには、イエスの死体の消失が大前提なのである。死体が目の前にあってもなお、イエスが「現れた」、あるいは「死人たちの中から起こされた」云々と主張するのは、ユダヤ教の人間理解からすると非合理そのもので、すぐさま即物的に反論され、実質的には説得力を一切持ち得ないからである。最後に、もう一つ新しい言辞がこの「死と起こし」の表象に加わった段階にまで触れておこう。それが、イエスの死と起こしとは「われわれのため」、あるいは「われわれの罪のため」であったという視点の導入である。【これは一般に「贖罪論」と言われているものであるが、今はこの曖昧な、誤解を招きやすい表現に関わる必要はない。】〔中略〕もし、イエスの死体が消えてなくならなかったら、直弟子たちには――たとえばペトロやマグダラの女マリヤには――何も起こらなかったのであろうか。そうかもしれない。しかしながら、やはり何かが起こったと考えることも十分可能であるように思われる。しかしその時は、その体験を表現するに際し、ほぼ間違いなく、「イエスは現れた」というキリスト論的表象にはなり得なかったであろう。死体が目の前にあるからである。しかしながら、キリスト論的表現ではなく、神論的表現なら十分可能だったであろう。つまり、「神が現れた」という表象、あるいはその変形であるところの、「神の栄光を見た、神の霊が現れた、神の使いが訪れた」等の表現である。そしてさらにはその「現れ」方は本質的に肯定的エネルギーの具現であるから、「神」は磔殺されたイエスとその活動とを改めて嘉された、イエスは神に呪われて死に果てたのではない、むしろ神の意志に従って死んでいったのだ、という肯定的な確信を生んでいくことが想定されるであろう。【イエスの死体がなくならなかったとしても直弟子たちに生じ得たであろう認識変貌の現象とは具体的にどのようなものであり得るか、それを示唆するような例を参考までに挙げておこう。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中の、主人公の一人、アリョーシャ・カラマーゾフの「回心」の場面である。自分の敬愛する、聖なるゾシマ長老の死を体験したアリョーシャは、その死の直後、長老の遺体が悪臭を発し始めたことに甚大な衝撃を受け、ほとんど自暴自棄になる。しかしその後、ゾシマ長老の亡骸の横たわる僧院に戻ると、夢に長老と「カナの婚姻」の場に共に与る夢を見る。感動のうちに目覚めた彼の前には、今なお長老の遺体がある。しかしこれが契機で、彼の心にある地滑りが起きるのである。彼は急いで夜の庭に走り出ると、満天の星影の下、大地にひれ伏した。こうして、「彼はあの丸い夜空のように堅固でゆるぎのないものが、しだいに自分の魂の中へ下りてくるのを、刻一刻はっきりと、まるで触知できるかのように感じていた。ある観念とも言うべきものが、彼の知性を支配しつつあった。・・・・アリョーシャはそののち一生のあいだ、決して決してこの瞬間のことを忘れることができなかった。『あのとき誰かが僕の魂を訪れたのだ』とのちに彼は、この言葉に固い信念をこめてよく語った」(『カラマーゾフの兄弟』「第七編・アリョーシャ、その四・ガリラヤのカナ」の結末部。引用は池田健太郎訳〔中央文庫〕)。アリョーシャのゾシマ長老に対する関係と、後者の死をめぐる事態が、直弟子たちのイエスに対するあり方や状況とある種の並行を示しているのが分かる。このアリョーシャと類似の形の認識の変貌なら、イエスの死体がなくならなくとも、直弟子たちの心意識に生じ得たと思えるのである。】これでも、一つの新しい運動は生じうる。〔中略〕しかしながら、私たちの知るような「キリスト論的」展開は望めないはずである。すなわちイエスは、その死体がなくなって初めて、弟子たちに対してその衝迫力と拘束力を徹底化するのである。そうすると、イエスの死体がなくならなかったら、いわゆる「キリスト教」は発生しなかったことになる。そうであれば、死体遺失という、私たちの目には偶然事とも見える事態の持つ特殊な意義が一層明らかになるであろう。それでは、イエスの遺体消失という事実を背景に「イエス顕現体験」として現出した直弟子たちの体験は、本質的には一体何であろうか。私には、これは意識の飛躍覚醒体験の一つであったと思われる。ある強度に追いつめられた状況の中でそれまでの自己意識が崩壊した人間には、何かの瞬間――ジェイムズ(W.James)の表現によれば「自己放棄」【『宗教的経験の諸相』上、枡田啓三郎訳、岩波文庫、一九六九年、三一二頁以下参照。】を生むような瞬間――を契機として、突然意識の地平が一変して開かれることがある。出口なしの否定一色のヴィジョンからそのままで無限肯定のヴィジョンに一転するのである。ヨガの究極体験や禅仏教における大悟、浄土真宗の阿弥陀体験、イスラム教スーフィズムの絶対者認識、あるいは多くのキリスト教神秘家たちの神体験に共通して見出される体験類型である。これはいわゆる「宗教」の領域だけではなく、日常生活の中でも――とりわけある限界状況を通過する際に――生じうる。【類似の現象もいくつか収集されている最近の文献として、安藤治『私を変えた(聖なる体験)』春秋社、一九九五年を挙げておく。】その体験の内実を、一つの最大公約数的な共通項をもって表記すれば、一般の生と死を突き抜けた、あるいはいったん死んだあとの絶対的生命とも言うべきものの覚醒である。私は直弟子たちに起こったものを、基本的にはそうした意識の基幹構造の変貌現象と捉えたい。〔中略〕この根源体験は、鍵となる「空の墓」という所与条件が逆に全く存在しなかった場合は、相当に異なる表象の中へ言語結晶化したであろうことが想定されるのである。もっとも、私はここで、直弟子たちはある宗教体験をし、それを言語的に反省する中で、イエスの顕現という表現を選択した、つまり「解釈」を施したとは言っていない。そのような理性的な思索過程ではない。こうした体験が表象化されるのは、瞬時の業である。いわば深層レベルでの心的発火が、潜在意識での表象エネルギーの結晶化に転じ、意識レベルに躍り出たのであろう。さきにも引いたジェイムズは「回心」体験における潜在意識の決定的役割を強調したが、【前掲書(『宗教的経験の諸相』上)、三一三頁以下参照。】同様の識閾下領域での表象化作用が想定されるのである。言語的反省がなされるとすれば、その後の話である。〔中略〕イエスが磔殺された後の痛恨の果てに、直弟子たちのある部分は一つの絶対的生命の体験に遭遇する。その体験は、イエスの墓が空になってしまったという事実を背景に、いなくなったイエスの「顕現」という発現形態をとった。また彼らは、ここから、イエスが死者たちの中から「起こされた」すなわち「復活」させられた、として表現していく。ここに「復活」信仰が成立する。したがって、もしイエスの死体が遺失することがなかったなら、直弟子たちが出会った生命体験は、「顕現」および「起こし」という表象をとることはなく、「神」中心の別様の表現になっていたであろう。ここから帰結されることは、当時の人々の語った「イエスの起こし」とは、ユダヤ教的表象世界における、そして特定の所与条件下における表現であったということである。このような理解は、「起こし」すなわち「復活」表象の一種の「非神話化」を意味する。【この作業は、かの非神話論者ブルトマン(R.Bultmann)が決してやろうとしなかったことである。彼にとっては、原始キリスト教宣教の核心である「イエスの死と復活」は、非神話化の攻撃に晒されることのない聖域であった。】「キリスト教はいいが、ただあの『復活』だけは信じられない」という人が多い中で、このような理解が一つの新しい可能性を示唆してくれれば幸いである。ただし、最後に一つ付加しなければならない。直弟子たちは、このような体験とそれを表象化する心的プロセスを通ったが、そのことは彼ら自身がその体験に見合う形でその後生き抜くことができたか、あるいは彼らの脳裏にあるイエスと同じ質の生を現実の世界で貫き得たか、という問題とはまた別物である、ということである。〔中略〕この点で、かの体験を経た直弟子たちをそのまま「聖人」化するのは、当たらない。実際、エルサレム原始教会の主流部分は、やがて相当に「保守」化していくのである。【ガラテヤ二章における、パウロとペトロその他との相互対決の事件を見よ。】>(佐藤研氏の論文「『復活』信仰の成立」~『イエス・キリストの復活 現代のアンソロジー』〔日基教団出版〕p113、『禅キリスト教の誕生』〔岩波書店〕p78~92 )
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0236700/top.html

神の霊が私を造り、全能者の息が私を生かす。」(ヨブ記33:4 並木浩一訳)

 

「あなたが顔を隠すと彼らはおびえ、あなたが彼らの霊を集めると彼らは息絶え、彼らの塵に帰る。あなたがあなたの霊を送ると彼らは創られ、あなたは土地の表を新しくする。」(詩篇104:29~30 松田伊作訳)

 

「誇れ、かれの聖なる名を、喜べ、ヤハウェを尋ねる者たちの心は。求めよ、ヤハウェとその力とを、尋ねよ、かれの顔を常に。」(同上、105:3~4 同訳)

 

<われらにではなく、ヤハウェよ、われらにではなく、あなたの名にこそ、栄光を与えて下さい、あなたの恵み〔と〕真実のゆえに。なにゆえ諸国民は言うのか、「彼らの神は、いったいどこだ」と。われらの神は天に〔いまし〕、おのが悦ぶことをみな行なう。>(同上、115:1~3 同訳)

 

ヤハウェを畏れることは、いのちの泉、死の罠から免れさせる。」(箴言14:27 勝村弘也訳)

 

「友愛と真実によって、咎は覆われる。ヤハウェを畏れることによって、〔ひとは〕悪から離れる。」(同上、16:6 同訳)

 

「人の心は、その道を考え出すが、その歩みを導くのは、ヤハウェである。」(同上、16:9 同訳)

 

人の息は、ヤハウェの灯火。腹の中の隅々まで調べあげる。」(同上、20:27 同訳)

 

<私を貧乏にも富裕にもしないで下さい。私に適する量のパンを味わわせて下さい。私が飽き足りて、〔あなたを〕否認し、「ヤハウェとは誰か」と言うことのないように。また、私が貧乏になって、盗みを働き、私の神の名を粗末に扱うことのないように。>(同上、30:8~9 同訳)

 

「神の前では、言葉を出そうとして、慌てて口を開いたり、心を焦らせたりするな。なぜなら、神は天におり、あなたは地上にいるのだから。」(コーヘレト書5:1 月本昭男訳 )

 

「幸いの日には幸いであれ。災いの日には〔災いを〕見つめよ。人間が後のことを何一つ見きわめ〔られ〕ないようにと、神はあれもこれも造り出したのだ。」(同上、7:14 同訳)

 

「そして、塵はもと通りに地に戻り、霊はこれを与えた神に戻る。」(同上、12:7 同訳)

 

神ヤハウェが、こう言われる、すなわち、天を創造し、これを張り巡らし、地とその作物を推し広げ、その上の民に息を与え、その中を歩む者に霊を授ける方が、「わたし、ヤハウェは、義をもってあなたを呼び、あなたの手を握り、あなたを見守り、あなたを民の契約と、また国々の光とする。>(イザヤ書 42:5~6 関根清三訳)

 

<あなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――、また、わたしが選んだわが僕だ。〔選んだのは、〕あなたたちが知って、わたしを信じ、わたしがその者だと、悟るためである。わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にも存在しない。わたし、このわたしこそ、ヤハウェであって、わたしの他に救い主はいない。このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたたちのうちに、他には〔神は〕いなかった。そしてあなたたちはわが証人――ヤハウェの御告げ――。わたしが神だ。これから後もわたしがそれだ。わたしの手から取り返せる者はなく、わたしが事を行なえば、誰がそれをもとに返すことができようか」。>(同上、43:10~12 同訳)

 

「まことにわたしは干からびた地に水を、乾いた地に流れを、注ぐ。わが霊をあなたの子孫に、わが祝福をあなたの裔に、注ぐ。こうして彼らは、青草の中にあって、水のほとりの柳のように、芽生える。」(同上、44:3~4 同訳)

 

<ヤハウェが、こう言われる、イスラエルの王、これの贖い主、万軍のヤハウェが、「わたしは初めであり、わたしは終りである。わたしの他に神はいない。>(同上、44:6 同訳)

 

<わたしがヤハウェである。他にはいない。わたしの他に神はいない。わたしはあなたに力を帯びさせるが、あなたはわたしを知らない。これは、わたしの他には空であると、日の上る方からも、暮れる方からも、人々が知るためだ。わたしがヤハウェである。他にはいない。〔わたしは〕光を造り、闇を創造する者、平安を作り、災いを創造する者。わたしはヤハウェ、これら総てを作る者」。>(同上、45:5~7 同訳)

 

ヤハウェは、胎内にある時から私を召し、母の腹にいる時から私の名を呼ばれた。」(同上、49:1b)

 

<彼は私に言った、「人の子よ、あなたの足で立て。わたしはあなたの語ろう」。彼が私に語ったとき、霊が私の中に入り、私をわが足で立たせた。私は私に語りかける方〔の声〕を聞いた。>(エゼキエル書2:1~2 月本昭男訳)

 

「こうして、わたしがお前たちの墓を開き、お前たちをわが民としてその墓から上らせるとき、お前たちは知るであろう、わたしがヤハウェである、と。わたしがお前たちの中にわが霊を与えるとき、お前たちは生き〔返〕るであろう。」(同上、37:13~14 同訳)